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    <title>暮らしのなかのプチ雑学</title>
    <link>http://kurapuchi.seesaa.net/</link>
    <description>暮らしに関わるモノやコトを、少し掘り下げて見つめてみました。読み物として一服していただければ幸いです。</description>
    <language>ja</language>
    <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs>
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    <itunes:keywords>暮らし　知識</itunes:keywords>
    
    <itunes:author>プッチン</itunes:author>
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      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/384799862.html</link>
      <title>イギリスで世界で初めての地下鉄が開通</title>
      <pubDate>Fri, 10 Jan 2014 10:01:59 +0900</pubDate>
            <description>　今から151年前の今日、1863年1月10日、世界で初めての地下鉄が開通しました。場所はイギリスのロンドン。ビショップス・ロードとファーリンドン・ストリート間のおよそ6キロでした。　この地下鉄に使われた動力機関は、驚くことに電車ではなく、燃料を燃やして走る方式を採用していました。ただし、使われた燃料は石炭ではなく、煤（すす）や煙が少ないコークスというものでした。　とはいうものの、やはり煙突は必要で、路線の各所に排煙用の穴が設けられ、駅には天井を作りませんでした。それでも列車..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　今から151年前の今日、1863年1月10日、世界で初めての地下鉄が開通しました。場所はイギリスのロンドン。ビショップス・ロードとファーリンドン・ストリート間のおよそ6キロでした。
　この地下鉄に使われた動力機関は、驚くことに電車ではなく、燃料を燃やして走る方式を採用していました。ただし、使われた燃料は石炭ではなく、煤（すす）や煙が少ないコークスというものでした。
　とはいうものの、やはり煙突は必要で、路線の各所に排煙用の穴が設けられ、駅には天井を作りませんでした。それでも列車内には臭いがこもり、「下水鉄道」などという、ありがたくないニックネームを授かっていたそうです。ちなみに、照明も電灯ではなく、ガス灯でした。電気機関車が登場するのはずっと後、17年後の1890年のことで、場所は同じロンドンでした。
　これ以後の主な地下鉄開通を誕生順にあげると、ハンガリーのブダペスト、イギリスのグラスゴー、アメリカのボストン、パリ、ドイツのベルリン、ニューヨーク、アルゼンチンのブエノスアイレス、モスクワと続き、ここまでが、世界初の地下鉄誕生からちょうど70年間のこと。
　ここで第二次世界大戦を挟み、その後スウェーデンのストックホルム、イタリアのローマ、中国の北京、韓国ソウル、釜山というぐあいに続きます。
　日本はどうかというと、昭和2年に開通した、上野・浅草間の2.2キロが最初で、その6年後に大阪で開通した、梅田・心斎橋間の3.1キロが二番手。ほかにも建設計画はあったものの、第二次世界大戦の激化に阻まれ、しばらくはストップしてしまいます。
　そして戦後、東京や大阪では路線の増加が加速し、ほかの大都市でも開発が始まります。現在、名古屋、札幌、横浜、神戸、京都、福岡、仙台で地下鉄が走っています。
　ちなみに世界では、およそ70の都市で普及しているそうです。

<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569794475/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4569794475&amp;linkCode=as2&amp;tag=toshi2234-22">東京メトロのひみつ</a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=toshi2234-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4569794475" width="1" height="1" border="0" alt="" />
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<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
　今から151年前の今日、1863年1月10日、世界で初めての地下鉄が開通しました。場所はイギリスのロンドン。ビショップス・ロードとファーリンドン・ストリート間のおよそ6キロでした。<br />　この地下鉄に使われた動力機関は、驚くことに電車ではなく、燃料を燃やして走る方式を採用していました。ただし、使われた燃料は石炭ではなく、煤（すす）や煙が少ないコークスというものでした。<br />　とはいうものの、やはり煙突は必要で、路線の各所に排煙用の穴が設けられ、駅には天井を作りませんでした。それでも列車内には臭いがこもり、「下水鉄道」などという、ありがたくないニックネームを授かっていたそうです。ちなみに、照明も電灯ではなく、ガス灯でした。電気機関車が登場するのはずっと後、17年後の1890年のことで、場所は同じロンドンでした。<br />　これ以後の主な地下鉄開通を誕生順にあげると、ハンガリーのブダペスト、イギリスのグラスゴー、アメリカのボストン、パリ、ドイツのベルリン、ニューヨーク、アルゼンチンのブエノスアイレス、モスクワと続き、ここまでが、世界初の地下鉄誕生からちょうど70年間のこと。<br />　ここで第二次世界大戦を挟み、その後スウェーデンのストックホルム、イタリアのローマ、中国の北京、韓国ソウル、釜山というぐあいに続きます。<br />　日本はどうかというと、昭和2年に開通した、上野・浅草間の2.2キロが最初で、その6年後に大阪で開通した、梅田・心斎橋間の3.1キロが二番手。ほかにも建設計画はあったものの、第二次世界大戦の激化に阻まれ、しばらくはストップしてしまいます。<br />　そして戦後、東京や大阪では路線の増加が加速し、ほかの大都市でも開発が始まります。現在、名古屋、札幌、横浜、神戸、京都、福岡、仙台で地下鉄が走っています。<br />　ちなみに世界では、およそ70の都市で普及しているそうです。<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569794475/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4569794475&linkCode=as2&tag=toshi2234-22">東京メトロのひみつ</a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=toshi2234-22&l=as2&o=9&a=4569794475" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4863207018/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4863207018&linkCode=as2&tag=toshi2234-22">日本の地下鉄 (イカロス・ムック)</a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=toshi2234-22&l=as2&o=9&a=4863207018" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br /><br /><iframe src="http://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?t=toshi2234-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4533089542&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br /><a name="more"></a>

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            <category>生活</category>
      <author>プッチン</author>
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                </item>
        <item>
      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/384300843.html</link>
      <title>達磨（だるま）と起きあがり小法師</title>
      <pubDate>Sat, 04 Jan 2014 08:59:05 +0900</pubDate>
            <description>　正月は、おめでとうという言葉が最も多く飛び交う月です。三が日だけでも、何回見たり聞いたり、あるいは口にしたりしたかわからないこの言葉は、愛でるの連用形「愛で」と、「甚し」という２つの言葉が基になっています。「愛で」は褒め讃える、「甚し」は甚だしいという意味です。つまり、元は「絶賛に値する」という意味で、あとはお察しの通り、「愛で甚し」が短く詰まり、「めでたし」となったというわけです。　さて、めでたい縁起物の一つに達磨があります。中でも少林山の福達磨は有名で、全国でも圧倒的な..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　正月は、おめでとうという言葉が最も多く飛び交う月です。三が日だけでも、何回見たり聞いたり、あるいは口にしたりしたかわからないこの言葉は、愛でるの連用形「愛で」と、「甚し」という２つの言葉が基になっています。「愛で」は褒め讃える、「甚し」は甚だしいという意味です。つまり、元は「絶賛に値する」という意味で、あとはお察しの通り、「愛で甚し」が短く詰まり、「めでたし」となったというわけです。
　さて、めでたい縁起物の一つに達磨があります。中でも少林山の福達磨は有名で、全国でも圧倒的なシェアを誇っています。七転八起の根性は「起きあがり達磨」の天分。商売繁盛、招福開運の縁起を担ぎ、間もなく各地で開かれる達磨市は、福を求める大勢の人たちで賑わいます。
　かつて、養蚕が盛んな関東地方では、蚕の順調な上簇を願い、その縁起を目無し達磨に求めていました。上簇とは、蚕が成熟し、繭を作るための簇という用具に入ること、あるいは入れることをいいます。この習俗は現在でも名残があり、達磨とのつながりが深いことを物語っています。
　達磨の起こりは室町時代で、基となったのは、上方地方で作られた起きあがり小法師でした。それが16世紀前半の享保年間に江戸へ伝わり、張り子の起きあがり達磨が誕生したと考えられています。
　これがブームとなり、二匹目の泥鰌を狙ったのかどうか、七福神の起きあがり玩具なども登場しましたが、達磨の人気には勝てず、達磨の独壇場となりました。さらには、「起きあがり」という言葉が、張り子達磨の代名詞となるまでに定着し、以後、座禅姿の達磨大師のごとく、まさに「不動」の地位を築いたというわけです。
　ところで、達磨のモデル、達磨大師は、南インドのバラモンに生まれ、お経を訳す般若多羅という僧に学んだ後、中国に渡って禅宗の始祖となった高僧です。面壁九年といわれる禅を組んだのは崇山の少林寺です。面壁九年は、「忍耐強く、一つの事を成し遂げる」という意味の故事です。

<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B005EP6MSA/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B005EP6MSA&amp;linkCode=as2&amp;tag=toshi2234-22">高崎だるま 福だるま5号　赤</a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=toshi2234-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=B005EP6MSA" width="1" height="1" border="0" alt="" />


<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
　正月は、おめでとうという言葉が最も多く飛び交う月です。三が日だけでも、何回見たり聞いたり、あるいは口にしたりしたかわからないこの言葉は、愛でるの連用形「愛で」と、「甚し」という２つの言葉が基になっています。「愛で」は褒め讃える、「甚し」は甚だしいという意味です。つまり、元は「絶賛に値する」という意味で、あとはお察しの通り、「愛で甚し」が短く詰まり、「めでたし」となったというわけです。<br />　さて、めでたい縁起物の一つに達磨があります。中でも少林山の福達磨は有名で、全国でも圧倒的なシェアを誇っています。七転八起の根性は「起きあがり達磨」の天分。商売繁盛、招福開運の縁起を担ぎ、間もなく各地で開かれる達磨市は、福を求める大勢の人たちで賑わいます。<br />　かつて、養蚕が盛んな関東地方では、蚕の順調な上簇を願い、その縁起を目無し達磨に求めていました。上簇とは、蚕が成熟し、繭を作るための簇という用具に入ること、あるいは入れることをいいます。この習俗は現在でも名残があり、達磨とのつながりが深いことを物語っています。<br />　達磨の起こりは室町時代で、基となったのは、上方地方で作られた起きあがり小法師でした。それが16世紀前半の享保年間に江戸へ伝わり、張り子の起きあがり達磨が誕生したと考えられています。<br />　これがブームとなり、二匹目の泥鰌を狙ったのかどうか、七福神の起きあがり玩具なども登場しましたが、達磨の人気には勝てず、達磨の独壇場となりました。さらには、「起きあがり」という言葉が、張り子達磨の代名詞となるまでに定着し、以後、座禅姿の達磨大師のごとく、まさに「不動」の地位を築いたというわけです。<br />　ところで、達磨のモデル、達磨大師は、南インドのバラモンに生まれ、お経を訳す般若多羅という僧に学んだ後、中国に渡って禅宗の始祖となった高僧です。面壁九年といわれる禅を組んだのは崇山の少林寺です。面壁九年は、「忍耐強く、一つの事を成し遂げる」という意味の故事です。<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B005EP6MSA/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B005EP6MSA&linkCode=as2&tag=toshi2234-22">高崎だるま 福だるま5号　赤</a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=toshi2234-22&l=as2&o=9&a=B005EP6MSA" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br /><br /><iframe src="http://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?t=toshi2234-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B005MUYG08&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br /><a name="more"></a>

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            <category>生活</category>
      <author>プッチン</author>
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                </item>
        <item>
      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/384218079.html</link>
      <title>歳神（としがみ）と門松の関係</title>
      <pubDate>Fri, 03 Jan 2014 08:17:21 +0900</pubDate>
            <description>　現代の正月行事は、ただ単に年が明けたという事実だけを祝うイベントのようになってしまい、商業的な部分がかなり目立つような気もしますが、本来の正月行事の意義はもう少し奥深いものです。正月の祝いは仏教に由来するもので、新しい歳神の来臨を祝うという、厳かな信仰の心が込められています。　歳神は、歳徳神（としとくじん）や正月様（しょうがつさま）、若年様（わかどしさま）などとも呼ばれ、年明けに各家へ降りてきて、その家に福徳や五穀豊穣をもたらす役目を担当する神様です。　その歳神を招き寄せた..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　現代の正月行事は、ただ単に年が明けたという事実だけを祝うイベントのようになってしまい、商業的な部分がかなり目立つような気もしますが、本来の正月行事の意義はもう少し奥深いものです。正月の祝いは仏教に由来するもので、新しい歳神の来臨を祝うという、厳かな信仰の心が込められています。
　歳神は、歳徳神（としとくじん）や正月様（しょうがつさま）、若年様（わかどしさま）などとも呼ばれ、年明けに各家へ降りてきて、その家に福徳や五穀豊穣をもたらす役目を担当する神様です。
　その歳神を招き寄せたり宿らせたりする役を果たすのが門松です。門のそばに立てるところから門松の名が付いたというわけですが、日本中がすべてそうかというと、そんなことはありません。地域によって独特な呼び方や形態があります。
　呼び方では、拝み松、飾り松、祝い松ほかいろいろ。材料も松に限らず、楢や椿、柳、栗などのほか種類が多く、しかもそれらを複数組み合わせる地域もあるとあって、デザインはバラエティーに富んでいます。立てる場所も同様で、座敷や床の間、神棚、土間、庭、というぐあいです。
　さらには、餅や雑煮などの食べ物を供えたり、手を合わせて拝んだりと、崇めかたもさまざま。飾っておく期間も、3日のところもあれば7日のところもあり、長いところでは14日間も飾るところありで、これまたばらばら。同じ歳神を祀るのに、これほど違いがあるのはおかしな感じですが、考えてみれば、そもそも民間信仰には、地域の風土や習俗が反映されるもの。むしろ当然のことなのかもしれません。
　歳神の存在を知らなかったという人、松の内の今日ならまだ間に合います。いまから拝めばいい年になるかもしれません。


<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
　現代の正月行事は、ただ単に年が明けたという事実だけを祝うイベントのようになってしまい、商業的な部分がかなり目立つような気もしますが、本来の正月行事の意義はもう少し奥深いものです。正月の祝いは仏教に由来するもので、新しい歳神の来臨を祝うという、厳かな信仰の心が込められています。<br />　歳神は、歳徳神（としとくじん）や正月様（しょうがつさま）、若年様（わかどしさま）などとも呼ばれ、年明けに各家へ降りてきて、その家に福徳や五穀豊穣をもたらす役目を担当する神様です。<br />　その歳神を招き寄せたり宿らせたりする役を果たすのが門松です。門のそばに立てるところから門松の名が付いたというわけですが、日本中がすべてそうかというと、そんなことはありません。地域によって独特な呼び方や形態があります。<br />　呼び方では、拝み松、飾り松、祝い松ほかいろいろ。材料も松に限らず、楢や椿、柳、栗などのほか種類が多く、しかもそれらを複数組み合わせる地域もあるとあって、デザインはバラエティーに富んでいます。立てる場所も同様で、座敷や床の間、神棚、土間、庭、というぐあいです。<br />　さらには、餅や雑煮などの食べ物を供えたり、手を合わせて拝んだりと、崇めかたもさまざま。飾っておく期間も、3日のところもあれば7日のところもあり、長いところでは14日間も飾るところありで、これまたばらばら。同じ歳神を祀るのに、これほど違いがあるのはおかしな感じですが、考えてみれば、そもそも民間信仰には、地域の風土や習俗が反映されるもの。むしろ当然のことなのかもしれません。<br />　歳神の存在を知らなかったという人、松の内の今日ならまだ間に合います。いまから拝めばいい年になるかもしれません。<br /><br /><iframe src="http://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?t=toshi2234-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4774129526&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br /><a name="more"></a>

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            <category>行事</category>
      <author>プッチン</author>
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                </item>
        <item>
      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/384147951.html</link>
      <title>羽根突きが庶民の間に広がったのは江戸時代以降</title>
      <pubDate>Thu, 02 Jan 2014 09:35:51 +0900</pubDate>
            <description>　羽根突きは、古くは宮中の正月行事として行われていたもので、公家や女官たちが男組と女組に分かれ、勝ち負けを競っていたといわれています。ただし、勝敗には賭け事の要素も含まれていたそうですから、どうやらおとなの遊びだったようです。　それが庶民の間に広がり、盛んになるのは江戸時代以降のことで、この頃から女の子の遊びとして定着していきました。　羽根突きは、「追い羽根」や「遣（や）り羽根」と呼ばれる、二人でお互いに羽根を突き返す遊び方がポピュラーですが、遊び相手が二人以上いても、それぞ..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　羽根突きは、古くは宮中の正月行事として行われていたもので、公家や女官たちが男組と女組に分かれ、勝ち負けを競っていたといわれています。ただし、勝敗には賭け事の要素も含まれていたそうですから、どうやらおとなの遊びだったようです。
　それが庶民の間に広がり、盛んになるのは江戸時代以降のことで、この頃から女の子の遊びとして定着していきました。
　羽根突きは、「追い羽根」や「遣（や）り羽根」と呼ばれる、二人でお互いに羽根を突き返す遊び方がポピュラーですが、遊び相手が二人以上いても、それぞれが一人で突いて、その回数を競う「揚（あ）げ羽根」、または「突き羽根」と呼ばれるものもあります。これはこれでおもしろいと思いますが、やはり、お互いに突き合うほうが賑やかでもあり、楽しいのではないでしょうか。
　かつて、羽子板は胡鬼板（こぎいた）とも呼ばれ、地味で簡素なものでした。それが、元禄の頃から次第に華やかなものへと変わっていきます。初日の出、鶴や亀、宝尽くし、花や鳥、美人画などが描かれるようになりました。
　さらに、文化・文政の頃には、狂言の人気役者の似顔の押し絵が登場するなど、豪華で高級なものも出回るようになりました。この頃には装飾品としての地位も確立し、歳末には羽子板市が開かれるまでになりました。
　羽根は、蚊の敵である蜻蛉（とんぼ）を模したもので、これを羽子板で突くことによって、蚊にさされるのを防いだり、蚊を退治できるというまじないが込められているのだそうです。
　羽根の球は、一般的には無患子（むくろじ）という落葉高木の種子に鳥の羽を植え込んだものです。このタイプの羽根ができる以前は、竹を細く裂いたものや、竹筒に紙を差し込んだものなどが使われていたこともあったそうです。
　遊びが多様化した現代では、羽根突きをしている光景を見かけることが少なくなってしまいましたが、なんとか、後世にまで残ってほしいものです。

<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
　羽根突きは、古くは宮中の正月行事として行われていたもので、公家や女官たちが男組と女組に分かれ、勝ち負けを競っていたといわれています。ただし、勝敗には賭け事の要素も含まれていたそうですから、どうやらおとなの遊びだったようです。<br />　それが庶民の間に広がり、盛んになるのは江戸時代以降のことで、この頃から女の子の遊びとして定着していきました。<br />　羽根突きは、「追い羽根」や「遣（や）り羽根」と呼ばれる、二人でお互いに羽根を突き返す遊び方がポピュラーですが、遊び相手が二人以上いても、それぞれが一人で突いて、その回数を競う「揚（あ）げ羽根」、または「突き羽根」と呼ばれるものもあります。これはこれでおもしろいと思いますが、やはり、お互いに突き合うほうが賑やかでもあり、楽しいのではないでしょうか。<br />　かつて、羽子板は胡鬼板（こぎいた）とも呼ばれ、地味で簡素なものでした。それが、元禄の頃から次第に華やかなものへと変わっていきます。初日の出、鶴や亀、宝尽くし、花や鳥、美人画などが描かれるようになりました。<br />　さらに、文化・文政の頃には、狂言の人気役者の似顔の押し絵が登場するなど、豪華で高級なものも出回るようになりました。この頃には装飾品としての地位も確立し、歳末には羽子板市が開かれるまでになりました。<br />　羽根は、蚊の敵である蜻蛉（とんぼ）を模したもので、これを羽子板で突くことによって、蚊にさされるのを防いだり、蚊を退治できるというまじないが込められているのだそうです。<br />　羽根の球は、一般的には無患子（むくろじ）という落葉高木の種子に鳥の羽を植え込んだものです。このタイプの羽根ができる以前は、竹を細く裂いたものや、竹筒に紙を差し込んだものなどが使われていたこともあったそうです。<br />　遊びが多様化した現代では、羽根突きをしている光景を見かけることが少なくなってしまいましたが、なんとか、後世にまで残ってほしいものです。<br /><br /><iframe src="http://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?t=toshi2234-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4839359016&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><a name="more"></a>

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            <category>生活</category>
      <author>プッチン</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,kurapuchi/384147951</guid>
                </item>
        <item>
      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/383996247.html</link>
      <title>年越しそばの由来</title>
      <pubDate>Tue, 31 Dec 2013 09:07:51 +0900</pubDate>
            <description>　大晦日の風物のひとつに年越しそばがあります。一年を振り返り、今年がいい年でなかった人は、「来年こそいい年になりますように」と願い、いい年だった人は、「来年もいい年に」とか、「もっといい年に」などと願いながら食べる縁起ものです。　年越しそばの由来には次のような説があります。　時は江戸時代。大坂で、金や銀を細工する職人が、一年の仕事納めに、仕事場のあちこちに散らばった金粉や銀粉を集めました。そば粉を練って作った団子を、床や畳、筵などに押しつけ、団子にくっつけるという方法で、最後..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　大晦日の風物のひとつに年越しそばがあります。一年を振り返り、今年がいい年でなかった人は、「来年こそいい年になりますように」と願い、いい年だった人は、「来年もいい年に」とか、「もっといい年に」などと願いながら食べる縁起ものです。
　年越しそばの由来には次のような説があります。
　時は江戸時代。大坂で、金や銀を細工する職人が、一年の仕事納めに、仕事場のあちこちに散らばった金粉や銀粉を集めました。そば粉を練って作った団子を、床や畳、筵などに押しつけ、団子にくっつけるという方法で、最後にその団子を焼くと灰になり、金粉や銀粉が残るというわけです。
　この話が、そばは金銀を集める、そばを食べると金運に恵まれる、というぐあいに変化して世間に広まり、大晦日にそばを食べる風習が生まれたといわれています。
　ただし当初は、そばはそばでも、そば粉にお湯を加えて練っただけの、麺類とはほど遠いそば粉のかたまり、「そば掻き」や「そば練り」と呼ばれるものだったようです。
　そばが現在のような麺に姿を変えるのは、五代将軍綱吉の時代、元禄年間といわれています。山芋や卵をつなぎとしてそば粉に加え、練って平たく延ばした後、細く長く切りました。この、そば掻きにはない「切る」という特徴が由縁で「そば切り」と呼ばれるようになり、麺の細長い形が、「細く長く生きる」、「長寿になる」などの縁起につながったといわれています。
　縁起はともかく、来年がいい年であってほしいものです。

<a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&amp;pid=877935733&amp;vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&amp;vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fsachiya%2F4030.html" target="_blank"><img border="0" src="http://item.shopping.c.yimg.jp/i/c/sachiya_4030" alt="&#x305D;&#x3070; &#x8D8A;&#x524D;&#x305D;&#x3070; 6&#x98DF;&#x30BB;&#x30C3;&#x30C8;">そば 越前そば 6食セット<img src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&amp;pid=877935733&amp;vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
　大晦日の風物のひとつに年越しそばがあります。一年を振り返り、今年がいい年でなかった人は、「来年こそいい年になりますように」と願い、いい年だった人は、「来年もいい年に」とか、「もっといい年に」などと願いながら食べる縁起ものです。<br />　年越しそばの由来には次のような説があります。<br />　時は江戸時代。大坂で、金や銀を細工する職人が、一年の仕事納めに、仕事場のあちこちに散らばった金粉や銀粉を集めました。そば粉を練って作った団子を、床や畳、筵などに押しつけ、団子にくっつけるという方法で、最後にその団子を焼くと灰になり、金粉や銀粉が残るというわけです。<br />　この話が、そばは金銀を集める、そばを食べると金運に恵まれる、というぐあいに変化して世間に広まり、大晦日にそばを食べる風習が生まれたといわれています。<br />　ただし当初は、そばはそばでも、そば粉にお湯を加えて練っただけの、麺類とはほど遠いそば粉のかたまり、「そば掻き」や「そば練り」と呼ばれるものだったようです。<br />　そばが現在のような麺に姿を変えるのは、五代将軍綱吉の時代、元禄年間といわれています。山芋や卵をつなぎとしてそば粉に加え、練って平たく延ばした後、細く長く切りました。この、そば掻きにはない「切る」という特徴が由縁で「そば切り」と呼ばれるようになり、麺の細長い形が、「細く長く生きる」、「長寿になる」などの縁起につながったといわれています。<br />　縁起はともかく、来年がいい年であってほしいものです。<br /><br /><a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fsachiya%2F4030.html" target="_blank" ><img border="0" src="http://item.shopping.c.yimg.jp/i/c/sachiya_4030" alt="そば 越前そば 6食セット"><br><br>そば 越前そば 6食セット<img Src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><a name="more"></a>

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            <category>食品</category>
      <author>プッチン</author>
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                </item>
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      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/383919158.html</link>
      <title>餅と雑煮はおめでたい日の食べ物</title>
      <pubDate>Mon, 30 Dec 2013 08:46:15 +0900</pubDate>
            <description>　正月用の餅を自分の家でつく人もいるかと思いますが、29日に餅をつくものではない、という俗信があります。こうした俗信は時代の変化とともに忘れ去られてしまうことが多いものですが、この俗信も、昨今では知らない人のほうが多いかもしれません。念のため説明しておきますと、29日に餅をついてはいけないというのは、29日の9という数字が、苦痛や苦労の「苦」につながるから、ということなのだそうです。　でも、これはあくまでも俗信。知らずに29日についたとしても、おいしくいただけばそれでよし。苦..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　正月用の餅を自分の家でつく人もいるかと思いますが、29日に餅をつくものではない、という俗信があります。こうした俗信は時代の変化とともに忘れ去られてしまうことが多いものですが、この俗信も、昨今では知らない人のほうが多いかもしれません。念のため説明しておきますと、29日に餅をついてはいけないというのは、29日の9という数字が、苦痛や苦労の「苦」につながるから、ということなのだそうです。
　でも、これはあくまでも俗信。知らずに29日についたとしても、おいしくいただけばそれでよし。苦にはならないことでしょう。
　昔から、餅はハレの日、つまり、おめでたい日の食べ物とされてきました。そのせいか、餅には神秘的な力が働いていると信じられていたことも多かったようです。
　大分県には、長者が弓矢で餅を射たところ、その餅が白鳥となって飛び去り、餅を射た長者は没落したという伝説があるそうです。
　また、新潟県の一地域では、小正月の餅団子を小豆粥（あずきがゆ）に入れたものを力餅と呼び、食べると力が出ると言われているそうですし、佐賀県の一部では、正月二十日の力持ちを食べると病気にならないと伝えられるなど、各地にさまざまな俗信が伝えられています。
　おめでたいとされる餅同様、雑煮もハレの日の料理とされています。雑煮の始まりは、年神に供えた餅を神棚から下げ、野菜、鶏肉、魚などといっしょに煮込んだもので、雑煮餅とも呼ばれていました。
　正月に雑煮を食べる習慣は、室町時代後期のころに定着したといわれています。ただし、三が日に祝い料理として食べられるようになったのは後の世、江戸時代後期からです。
　江戸時代末期になると、庶民は雑煮を食べ、正月三が日を祝うようになりました。たとえ貧しくても、雑煮だけは欠かさなかったといいますから、現代とは比べようのないほどの存在感があったようです。


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      <content:encoded><![CDATA[
　正月用の餅を自分の家でつく人もいるかと思いますが、29日に餅をつくものではない、という俗信があります。こうした俗信は時代の変化とともに忘れ去られてしまうことが多いものですが、この俗信も、昨今では知らない人のほうが多いかもしれません。念のため説明しておきますと、29日に餅をついてはいけないというのは、29日の9という数字が、苦痛や苦労の「苦」につながるから、ということなのだそうです。<br />　でも、これはあくまでも俗信。知らずに29日についたとしても、おいしくいただけばそれでよし。苦にはならないことでしょう。<br />　昔から、餅はハレの日、つまり、おめでたい日の食べ物とされてきました。そのせいか、餅には神秘的な力が働いていると信じられていたことも多かったようです。<br />　大分県には、長者が弓矢で餅を射たところ、その餅が白鳥となって飛び去り、餅を射た長者は没落したという伝説があるそうです。<br />　また、新潟県の一地域では、小正月の餅団子を小豆粥（あずきがゆ）に入れたものを力餅と呼び、食べると力が出ると言われているそうですし、佐賀県の一部では、正月二十日の力持ちを食べると病気にならないと伝えられるなど、各地にさまざまな俗信が伝えられています。<br />　おめでたいとされる餅同様、雑煮もハレの日の料理とされています。雑煮の始まりは、年神に供えた餅を神棚から下げ、野菜、鶏肉、魚などといっしょに煮込んだもので、雑煮餅とも呼ばれていました。<br />　正月に雑煮を食べる習慣は、室町時代後期のころに定着したといわれています。ただし、三が日に祝い料理として食べられるようになったのは後の世、江戸時代後期からです。<br />　江戸時代末期になると、庶民は雑煮を食べ、正月三が日を祝うようになりました。たとえ貧しくても、雑煮だけは欠かさなかったといいますから、現代とは比べようのないほどの存在感があったようです。<br /><br /><iframe src="http://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?t=toshi2234-22&o=9&p=6&l=bn1&mode=grocery-jp&browse=70904051&fc1=000000&lt1=_blank&lc1=3366FF&bg1=FFFFFF&f=ifr" marginwidth="0" marginheight="0" width="120" height="150" border="0" frameborder="0" style="border:none;" scrolling="no"></iframe><br /><a name="more"></a>

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            <category>食品</category>
      <author>プッチン</author>
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                </item>
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      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/383877471.html</link>
      <title>アンコウは背骨以外はほとんど食べられる</title>
      <pubDate>Sun, 29 Dec 2013 18:09:35 +0900</pubDate>
            <description>　冬という季節は魚好きの人にとっては嬉しい季節でしょう。ほとんどの魚類は産卵に備えたり寒さから身を守ったりするため、脂がのっておいしくなるからです。不格好というか不気味というか、とにかく見た目の割には美味という魚、アンコウもその一つです。　アンコウを料理するときは、まず下あごから縄を通して吊します。次に、口から大量の水を注ぎ込んで腹をふくらませ、皮を剥いでから肉を削ぎます。そして内臓を取り、最後に骨を断ちます。アンコウを吊すのは、皮や肉が柔らかく、俎板の上ではさばきにくいから..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　冬という季節は魚好きの人にとっては嬉しい季節でしょう。ほとんどの魚類は産卵に備えたり寒さから身を守ったりするため、脂がのっておいしくなるからです。不格好というか不気味というか、とにかく見た目の割には美味という魚、アンコウもその一つです。
　アンコウを料理するときは、まず下あごから縄を通して吊します。次に、口から大量の水を注ぎ込んで腹をふくらませ、皮を剥いでから肉を削ぎます。そして内臓を取り、最後に骨を断ちます。アンコウを吊すのは、皮や肉が柔らかく、俎板の上ではさばきにくいからで、これを「鮟鱇（アンコウ）の吊し切り」といいます。
　「鮟鱇は唇ばかり残るなり」と詠んだ江戸川柳がありますが、背骨以外はほとんど食べることができます。俗に「七つ道具」といわれ、肉、皮、鰭、鰓、胃、腸、肝臓の7つすべてを食べられるというわけです。
　可食部が多い分、料理の種類も多く、煮物や吸い物、和え物ほか、さまざまな形に調理されますが、やはり定番は鍋でしょう。「鮟鱇鍋」は、肉や皮、内臓と一緒に、豆腐、ネギ、ウドなどを鍋に入れ、割下で煮込みます。味がよくて栄養もあり、体も温まるとあって冬に人気が高い料理の上位にランクします。
　アンコウは暗く冷たい、水深100メートルから400メートルほどの海底を生活圏とし、普段はあまり動き回ることがありません。餌を取る方法は、頭に付いたアンテナ状の疑似餌を揺らしながら、ただひたすら待ち続けるというものぐさなもの。
　このようすを皮肉ったことわざに、「鮟鱇の待ち食い」というものがあります。働きもせずに利益を得ようとすること、また、そのような人という意味です。「鮟鱇の餌待ち」という言葉もあります。これは、ポカンと口を開いた間抜けなようすという意味。
　アンコウは動かない割には大食漢で、自分の体重の3分の1以上もの量の餌を一度にとります。なにしろ、ことわざにもなるほどのんきな「鮟鱇の待ち食い」。長い絶食状態を想定した自然の摂理と思いますが、それにしても畏るべき胃袋ではあります。

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      <content:encoded><![CDATA[
　冬という季節は魚好きの人にとっては嬉しい季節でしょう。ほとんどの魚類は産卵に備えたり寒さから身を守ったりするため、脂がのっておいしくなるからです。不格好というか不気味というか、とにかく見た目の割には美味という魚、アンコウもその一つです。<br />　アンコウを料理するときは、まず下あごから縄を通して吊します。次に、口から大量の水を注ぎ込んで腹をふくらませ、皮を剥いでから肉を削ぎます。そして内臓を取り、最後に骨を断ちます。アンコウを吊すのは、皮や肉が柔らかく、俎板の上ではさばきにくいからで、これを「鮟鱇（アンコウ）の吊し切り」といいます。<br />　「鮟鱇は唇ばかり残るなり」と詠んだ江戸川柳がありますが、背骨以外はほとんど食べることができます。俗に「七つ道具」といわれ、肉、皮、鰭、鰓、胃、腸、肝臓の7つすべてを食べられるというわけです。<br />　可食部が多い分、料理の種類も多く、煮物や吸い物、和え物ほか、さまざまな形に調理されますが、やはり定番は鍋でしょう。「鮟鱇鍋」は、肉や皮、内臓と一緒に、豆腐、ネギ、ウドなどを鍋に入れ、割下で煮込みます。味がよくて栄養もあり、体も温まるとあって冬に人気が高い料理の上位にランクします。<br />　アンコウは暗く冷たい、水深100メートルから400メートルほどの海底を生活圏とし、普段はあまり動き回ることがありません。餌を取る方法は、頭に付いたアンテナ状の疑似餌を揺らしながら、ただひたすら待ち続けるというものぐさなもの。<br />　このようすを皮肉ったことわざに、「鮟鱇の待ち食い」というものがあります。働きもせずに利益を得ようとすること、また、そのような人という意味です。「鮟鱇の餌待ち」という言葉もあります。これは、ポカンと口を開いた間抜けなようすという意味。<br />　アンコウは動かない割には大食漢で、自分の体重の3分の1以上もの量の餌を一度にとります。なにしろ、ことわざにもなるほどのんきな「鮟鱇の待ち食い」。長い絶食状態を想定した自然の摂理と思いますが、それにしても畏るべき胃袋ではあります。<br /><br /><a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Ftendaifoods%2F951340.html" target="_blank" >アンコウ鍋800gセット<img Src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><br /><a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fisomaru2005%2Fankoukimonasi1000nbs1-3.html" target="_blank" >送料無料 あんこう（アンコウ）鍋セット　（1kg　4～5人前）　肝なしあんこう（アンコウ）<img Src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><br /><br /><a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Ffukunosato%2Fya56.html" target="_blank" ><img border="0" src="http://item.shopping.c.yimg.jp/i/c/fukunosato_ya56" alt="あんこう（アンコウ）鍋セット三味セット　1～2人前×3食分（冷凍）（国産）"><br><br>あんこう（アンコウ）鍋セット三味セット　1～2人前×3食分（冷凍）（国産）<img Src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><a name="more"></a>

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            <category>魚</category>
      <author>プッチン</author>
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                </item>
        <item>
      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/383765961.html</link>
      <title>塩鮭にも新巻鮭にも手間ひまがかかっている</title>
      <pubDate>Sat, 28 Dec 2013 09:10:59 +0900</pubDate>
            <description>　春、川を下って海へ出た鮭の稚魚が、ふたたび生まれ故郷へ帰ってくるのは、３年後から６年後の秋から翌年１月頃までの間。今年も間もなく終わろうという今頃の時期は、鮭の遡上もそろそろ終盤となります。　鮭にはいくつかの種類がありますが、単に鮭という場合は白鮭をさすのが一般的で、区別するときには、紅鮭、銀鮭のように呼び分けます。日本で食用とされる鮭は白鮭が主流で、塩鮭や新巻鮭に使われるのも白鮭です。ちなみに欧米では、肉の色が鮮やかな紅鮭のほうが好まれているようです。　遡上するために日本..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　春、川を下って海へ出た鮭の稚魚が、ふたたび生まれ故郷へ帰ってくるのは、３年後から６年後の秋から翌年１月頃までの間。今年も間もなく終わろうという今頃の時期は、鮭の遡上もそろそろ終盤となります。
　鮭にはいくつかの種類がありますが、単に鮭という場合は白鮭をさすのが一般的で、区別するときには、紅鮭、銀鮭のように呼び分けます。日本で食用とされる鮭は白鮭が主流で、塩鮭や新巻鮭に使われるのも白鮭です。ちなみに欧米では、肉の色が鮮やかな紅鮭のほうが好まれているようです。
　遡上するために日本近海へ回遊してくる頃の鮭は、産卵に備えてたっぷり栄養をとり、脂ものっているため、もっともおいしい時期となります。日本へ回遊する白鮭は、トキシラズ群とアキザケ群の二種に分けられますが、北海道ではアキザケを特別に「秋味」と呼び、特に美味としています。
　遡上を始めた鮭の肉質は、上流へ行くに連れて次第に落ちていきます。速い流れに逆らって泳ぐだけでも重労働なのに、川をのぼり始めたとたん、餌をまったくとらなくなるという習性があるからです。言うまでもなく、体力が消耗して肉が痩せ、味も栄養価も落ちてしまうというわけです。
　保存用に加工したものに、塩鮭や新巻鮭があります。塩鮭は、白鮭の内臓を取り除いた後、口や腹の中に塩を詰めて体全体に塩をまぶしたものですが、これだけで完成というわけではありません。一度塩をまぶしたら、専用の倉庫などに積み上げ、数日後、上下の順序を入れ替えながらふたたび塩をまぶします。これは「手返し」と呼ばれる工程で、これを何回か繰り返し、3週間ほどかけてやっと仕上がるという、けっこう手の込んだものなのです。
　一方の新巻鮭は、基本的な作り方は塩鮭と同じものの、塩鮭より薄塩で仕立てられた上等品で、体を縄で巻いたものです。
　昔の人は、鮭の帰郷本能に神秘的なものを感じていたらしく、神の恵みによる魚と信じ、晴れがましい日にふさわしい食べ物としていました。新巻鮭が、お歳暮などの贈答品や年越しの魚として使われる習慣は、そうした思い入れから生まれたと言われています。

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<a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&amp;pid=877935733&amp;vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&amp;vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fatumaru-suisan%2Fshiobiki-001.html" target="_blank"><img border="0" src="http://item.shopping.c.yimg.jp/i/c/atumaru-suisan_shiobiki-001" alt="&#x65B0;&#x5DFB;&#x9BAD;/&#x9280;&#x6BDB; &#x79CB;&#x9BAD; &#x4F7F;&#x7528;/&#x81EA;&#x5BB6;&#x7DB2;&#x5143;&#x4ED5;&#x8FBC;&#x307F; &#x5317;&#x6D77;&#x9053; &#x6606;&#x5E03;&#x68EE;&#x6C96;&#x7372;&#x308C;&#xFF12;&#x30AD;&#x30ED;&#x524D;&#x5F8C;">新巻鮭/銀毛 秋鮭 使用/自家網元仕込み 北海道 昆布森沖獲れ２キロ前後<img src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&amp;pid=877935733&amp;vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
　春、川を下って海へ出た鮭の稚魚が、ふたたび生まれ故郷へ帰ってくるのは、３年後から６年後の秋から翌年１月頃までの間。今年も間もなく終わろうという今頃の時期は、鮭の遡上もそろそろ終盤となります。<br />　鮭にはいくつかの種類がありますが、単に鮭という場合は白鮭をさすのが一般的で、区別するときには、紅鮭、銀鮭のように呼び分けます。日本で食用とされる鮭は白鮭が主流で、塩鮭や新巻鮭に使われるのも白鮭です。ちなみに欧米では、肉の色が鮮やかな紅鮭のほうが好まれているようです。<br />　遡上するために日本近海へ回遊してくる頃の鮭は、産卵に備えてたっぷり栄養をとり、脂ものっているため、もっともおいしい時期となります。日本へ回遊する白鮭は、トキシラズ群とアキザケ群の二種に分けられますが、北海道ではアキザケを特別に「秋味」と呼び、特に美味としています。<br />　遡上を始めた鮭の肉質は、上流へ行くに連れて次第に落ちていきます。速い流れに逆らって泳ぐだけでも重労働なのに、川をのぼり始めたとたん、餌をまったくとらなくなるという習性があるからです。言うまでもなく、体力が消耗して肉が痩せ、味も栄養価も落ちてしまうというわけです。<br />　保存用に加工したものに、塩鮭や新巻鮭があります。塩鮭は、白鮭の内臓を取り除いた後、口や腹の中に塩を詰めて体全体に塩をまぶしたものですが、これだけで完成というわけではありません。一度塩をまぶしたら、専用の倉庫などに積み上げ、数日後、上下の順序を入れ替えながらふたたび塩をまぶします。これは「手返し」と呼ばれる工程で、これを何回か繰り返し、3週間ほどかけてやっと仕上がるという、けっこう手の込んだものなのです。<br />　一方の新巻鮭は、基本的な作り方は塩鮭と同じものの、塩鮭より薄塩で仕立てられた上等品で、体を縄で巻いたものです。<br />　昔の人は、鮭の帰郷本能に神秘的なものを感じていたらしく、神の恵みによる魚と信じ、晴れがましい日にふさわしい食べ物としていました。新巻鮭が、お歳暮などの贈答品や年越しの魚として使われる習慣は、そうした思い入れから生まれたと言われています。<br /><br /><a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Froyalchef%2F240007970.html" target="_blank" >天然鮭切身セット（7812）<img Src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><br /><br /><a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fatumaru-suisan%2Fshiobiki-001.html" target="_blank" ><img border="0" src="http://item.shopping.c.yimg.jp/i/c/atumaru-suisan_shiobiki-001" alt="新巻鮭/銀毛 秋鮭 使用/自家網元仕込み 北海道 昆布森沖獲れ２キロ前後"><br><br>新巻鮭/銀毛 秋鮭 使用/自家網元仕込み 北海道 昆布森沖獲れ２キロ前後<img Src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><a name="more"></a>

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            <category>食品</category>
      <author>プッチン</author>
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                </item>
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      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/383437156.html</link>
      <title>クリスマスツリーとクリスマスカード</title>
      <pubDate>Tue, 24 Dec 2013 08:05:42 +0900</pubDate>
            <description>　1777年12月、キャプテン・クックの通称で知られる、イギリス海軍の軍人で探検家のジェームズ・クックが、太平洋中央部、ポリネシア北西部に位置するライン諸島の環礁に到着しました。環礁とは環状の珊瑚礁のことで、部分的に島のようになっています。　この島とクリスマスが、どんな関係があるのか。じつは、この島の名前はクリスマス島なのです。クックはこの島でクリスマスを過ごし、それにちなんでクリスマス島と命名したのでした。236年前のことです。　島の陸部面積は244平方キロメートル。188..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　1777年12月、キャプテン・クックの通称で知られる、イギリス海軍の軍人で探検家のジェームズ・クックが、太平洋中央部、ポリネシア北西部に位置するライン諸島の環礁に到着しました。環礁とは環状の珊瑚礁のことで、部分的に島のようになっています。
　この島とクリスマスが、どんな関係があるのか。じつは、この島の名前はクリスマス島なのです。クックはこの島でクリスマスを過ごし、それにちなんでクリスマス島と命名したのでした。236年前のことです。
　島の陸部面積は244平方キロメートル。1888年にイギリス領となり、現在はキリバス共和国に属しています。かつてはココヤシや真珠貝が産することで知られていましたが、現在はコプラ産業や観光に力を入れています。
　話は変わってクリスマスカード。これは、キリストの誕生を祝福し、その喜びを友人や知人などに伝えるためのものです。表紙にはクリスマスにちなむ絵をあしらい、中面に祝いの言葉を記します。
　このような、絵と文章を用いたものが初めて使われたのは1843年のイギリスで、考案者はヘンリー・コール、執筆者はジョン・ホーズリーという人物といわれています。
　カードには新年を祝うメッセージが併記されることも多く、日本でいうと年賀状のようなものともいえます。
　クリスマスツリーの起源はドイツで、ライン川上流の左岸の地域とされています。11世紀に演じられていたドイツの宗教劇では、モミの木にリンゴを吊してエデンの園を表し、ろうそくを飾ることで光を表したそうです。
　ヨーロッパの冬は雪と闇に閉ざされることから、春の明るい陽光や緑を思う気持ちが強く、キリスト教が伝わる以前から、常緑樹のモミの木を飾る風習があったと言われています。ところで、モミの木は三角形をしていますが、この形は信仰や希望、慈悲などを象徴しているのだそうです。


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　1777年12月、キャプテン・クックの通称で知られる、イギリス海軍の軍人で探検家のジェームズ・クックが、太平洋中央部、ポリネシア北西部に位置するライン諸島の環礁に到着しました。環礁とは環状の珊瑚礁のことで、部分的に島のようになっています。<br />　この島とクリスマスが、どんな関係があるのか。じつは、この島の名前はクリスマス島なのです。クックはこの島でクリスマスを過ごし、それにちなんでクリスマス島と命名したのでした。236年前のことです。<br />　島の陸部面積は244平方キロメートル。1888年にイギリス領となり、現在はキリバス共和国に属しています。かつてはココヤシや真珠貝が産することで知られていましたが、現在はコプラ産業や観光に力を入れています。<br />　話は変わってクリスマスカード。これは、キリストの誕生を祝福し、その喜びを友人や知人などに伝えるためのものです。表紙にはクリスマスにちなむ絵をあしらい、中面に祝いの言葉を記します。<br />　このような、絵と文章を用いたものが初めて使われたのは1843年のイギリスで、考案者はヘンリー・コール、執筆者はジョン・ホーズリーという人物といわれています。<br />　カードには新年を祝うメッセージが併記されることも多く、日本でいうと年賀状のようなものともいえます。<br />　クリスマスツリーの起源はドイツで、ライン川上流の左岸の地域とされています。11世紀に演じられていたドイツの宗教劇では、モミの木にリンゴを吊してエデンの園を表し、ろうそくを飾ることで光を表したそうです。<br />　ヨーロッパの冬は雪と闇に閉ざされることから、春の明るい陽光や緑を思う気持ちが強く、キリスト教が伝わる以前から、常緑樹のモミの木を飾る風習があったと言われています。ところで、モミの木は三角形をしていますが、この形は信仰や希望、慈悲などを象徴しているのだそうです。<br /><br /><iframe src="http://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?t=toshi2234-22&o=9&p=13&l=bn1&mode=grocery-jp&browse=57239051&fc1=000000&lt1=_blank&lc1=3366FF&bg1=FFFFFF&f=ifr" marginwidth="0" marginheight="0" width="468" height="60" border="0" frameborder="0" style="border:none;" scrolling="no"></iframe><br /><a name="more"></a>

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            <category>生活</category>
      <author>プッチン</author>
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                </item>
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      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/383360771.html</link>
      <title>1958年12月23日東京タワー完成</title>
      <pubDate>Mon, 23 Dec 2013 08:58:09 +0900</pubDate>
            <description>　今日は天皇誕生日で祝日。仕事が休みという方も多いことでしょう。　さて、今から55年前、1958年の今日、自立鉄塔としては当時世界一の高さを誇った東京タワーが完成しました。今でこそ東京スカイツリーにトップの座を譲ってしまいましたが、当時は大変な威光を放っていました。　場所は東京港区のほぼ中心、芝公園内。浄土宗の大本山、増上寺の近くです。テレビ塔が林立するのを防ぐ目的で造られたもので、設計者は内藤多仲（ないとう・たちゅう）という人でした。　パリのエッフェル塔より高い333メート..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　今日は天皇誕生日で祝日。仕事が休みという方も多いことでしょう。
　さて、今から55年前、1958年の今日、自立鉄塔としては当時世界一の高さを誇った東京タワーが完成しました。今でこそ東京スカイツリーにトップの座を譲ってしまいましたが、当時は大変な威光を放っていました。
　場所は東京港区のほぼ中心、芝公園内。浄土宗の大本山、増上寺の近くです。テレビ塔が林立するのを防ぐ目的で造られたもので、設計者は内藤多仲（ないとう・たちゅう）という人でした。
　パリのエッフェル塔より高い333メートルという高さ、そして、地上150メートルの大展望台と、250メートルの特別展望台が大変な評判を呼び、たちまち東京の観光スポットとなりました。
　大展望台からは関東一円の景色を一望でき、さらに特別展望台までのぼれば、富士山や筑波山も見ることができました。
　当時の入場料は120円でした。ちなみに、この年に発売された「お湯をかけて3分」の即席麺が35円、350ミリリットル入りの缶ビールが75円でした。参考までに申しあげておきますと、当時は、缶ビールといってもアルミではなく、ブリキの缶でした。
　そういう物価だった時代に、総工費は28億円。日常生活には縁のない金額なのでぴんときませんが、大変な金額だったことは確かでしょう。工事の規模も大きく、敷地面積は2118平方メートル、使った鋼材は4000トン。ペンキの量は2万8000リットル、ドラム缶に換算して140本にもなるそうで、ペンキだけでもかなりの重さです。
　施設を簡単に紹介しておきましょう。1階には、約800種5万尾の魚が泳ぐ「東京タワー水族館」、2階にはおみやげ店や食堂、3階には蝋人形館などがある「東京タワーカーニバル」、4階には「東京タワートリックアートギャラリー」、政府広報展示室の「情報の森」、統計広報展示室の「とうけいプラザ」などがあり、地下1階には保安室や医務室が設置されています。
　ところで、東京タワーはオレンジ色と白で塗られていますが、この配色は、航空法という法律の規定によるものなのだそうです。

<a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&amp;pid=877935733&amp;vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&amp;vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fesports%2F9361910990618.html" target="_blank">童友社（Doyusha） 1/2000スケール 彩色済み情景モデル 東京タワー<img src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&amp;pid=877935733&amp;vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a>

<a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&amp;pid=877935733&amp;vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&amp;vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fyume%2F42e5a.html" target="_blank"><img border="0" src="http://item.shopping.c.yimg.jp/i/g/yume_42e5a" alt="&#x6771;&#x4EAC;&#x30B9;&#x30AB;&#x30A4;&#x30C4;&#x30EA;&#x30FC;&#xFF08;R&#xFF09;&#xFF06;&#x6771;&#x4EAC;&#x30BF;&#x30EF;&#x30FC;&#x30DF;&#x30CB;&#x30C1;&#x30E5;&#x30A2;&#x30BB;&#x30C3;&#x30C8;">東京スカイツリー（R）＆東京タワーミニチュアセット<img src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&amp;pid=877935733&amp;vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
　今日は天皇誕生日で祝日。仕事が休みという方も多いことでしょう。<br />　さて、今から55年前、1958年の今日、自立鉄塔としては当時世界一の高さを誇った東京タワーが完成しました。今でこそ東京スカイツリーにトップの座を譲ってしまいましたが、当時は大変な威光を放っていました。<br />　場所は東京港区のほぼ中心、芝公園内。浄土宗の大本山、増上寺の近くです。テレビ塔が林立するのを防ぐ目的で造られたもので、設計者は内藤多仲（ないとう・たちゅう）という人でした。<br />　パリのエッフェル塔より高い333メートルという高さ、そして、地上150メートルの大展望台と、250メートルの特別展望台が大変な評判を呼び、たちまち東京の観光スポットとなりました。<br />　大展望台からは関東一円の景色を一望でき、さらに特別展望台までのぼれば、富士山や筑波山も見ることができました。<br />　当時の入場料は120円でした。ちなみに、この年に発売された「お湯をかけて3分」の即席麺が35円、350ミリリットル入りの缶ビールが75円でした。参考までに申しあげておきますと、当時は、缶ビールといってもアルミではなく、ブリキの缶でした。<br />　そういう物価だった時代に、総工費は28億円。日常生活には縁のない金額なのでぴんときませんが、大変な金額だったことは確かでしょう。工事の規模も大きく、敷地面積は2118平方メートル、使った鋼材は4000トン。ペンキの量は2万8000リットル、ドラム缶に換算して140本にもなるそうで、ペンキだけでもかなりの重さです。<br />　施設を簡単に紹介しておきましょう。1階には、約800種5万尾の魚が泳ぐ「東京タワー水族館」、2階にはおみやげ店や食堂、3階には蝋人形館などがある「東京タワーカーニバル」、4階には「東京タワートリックアートギャラリー」、政府広報展示室の「情報の森」、統計広報展示室の「とうけいプラザ」などがあり、地下1階には保安室や医務室が設置されています。<br />　ところで、東京タワーはオレンジ色と白で塗られていますが、この配色は、航空法という法律の規定によるものなのだそうです。<br /><br /><a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fesports%2F9361910990618.html" target="_blank" >童友社（Doyusha） 1/2000スケール 彩色済み情景モデル 東京タワー<img Src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><br /><br /><a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fyume%2F42e5a.html" target="_blank" ><img border="0" src="http://item.shopping.c.yimg.jp/i/g/yume_42e5a" alt="東京スカイツリー（R）＆東京タワーミニチュアセット"><br><br>東京スカイツリー（R）＆東京タワーミニチュアセット<img Src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><a name="more"></a>

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            <category>記念日</category>
      <author>プッチン</author>
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                </item>
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      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/383287025.html</link>
      <title>冬至と南瓜（かぼちゃ）</title>
      <pubDate>Sun, 22 Dec 2013 09:21:50 +0900</pubDate>
            <description>　今日は一年のうちで最も夜が長くて昼が短い「冬至」です。今日の正午、太陽の高度は一年のうちで最も低くなります。　「冬至から畳の目ほど日が伸びる」という故事があります。言うまでもなく、冬至の日からほんのわずかずつ日が伸びるという意味ですが、ではどのくらい伸びるのかといいますと、一日あたりおよそ2分です。つまり、明日は今日よりも昼が2分長くなるというわけです。ところで、念のために申しあげておきますと、この現象は北半球での話で、南半球ではこの反対となります。　冬至は、暦のうえでは冬..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　今日は一年のうちで最も夜が長くて昼が短い「冬至」です。今日の正午、太陽の高度は一年のうちで最も低くなります。
　「冬至から畳の目ほど日が伸びる」という故事があります。言うまでもなく、冬至の日からほんのわずかずつ日が伸びるという意味ですが、ではどのくらい伸びるのかといいますと、一日あたりおよそ2分です。つまり、明日は今日よりも昼が2分長くなるというわけです。ところで、念のために申しあげておきますと、この現象は北半球での話で、南半球ではこの反対となります。
　冬至は、暦のうえでは冬の半ばですが、現実にはまだ冬の始まりです。寒さが苦手な人にとっては気の重い話ですが、冬至からその数日後にかけ、「年末低気圧」と呼ばれる低気圧が張り出し、これを境に寒さが厳しくなり始めます。
　最も寒くなるのは、その名前とは裏腹の立春頃。それをうまく表したこんな故事もあります。「冬至冬中（ふゆなか）冬はじめ」。冬至は、冬の真ん中でありながら始めでもあるという意味です。
　冬至には、小豆粥や南瓜（かぼちゃ）を食べたり、あるいは柚子湯にはいったりするなど、昔からさまざまな儀礼が行われてきました。この儀礼には、私たちの祖先が農耕民族であったせいかどうか、農耕の再生、衰弱からの再生という願いが込められていたようです。
　こうした風習は今もその面影を残しています。「冬至とうなす」はそのひとつで、故事で言う「冬至に南瓜を食うと中風（ちゅうぶう）にならぬ」というものです。「中風にならぬ」という部分は、地域によっては「風邪をひかない」とか「病気にならない」などとも言われていますが、いずれにしても南瓜は全国的に冬至の立て役者となっています。
　ハウス栽培などの技術がなかった昔、野菜が不足するいま頃の時期に、南瓜は貴重な野菜として、また、貯蔵がきくことなどから大いに利用され、再生儀礼の一翼を担ったということでしょう。

<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B005ONONEC/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B005ONONEC&amp;linkCode=as2&amp;tag=toshi2234-22">冬至カボチャ1個-2,5kg前後</a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=toshi2234-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=B005ONONEC" width="1" height="1" border="0" alt="" />
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4863918720/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4863918720&amp;linkCode=as2&amp;tag=toshi2234-22">日本のしきたりがまるごとわかる本 (晋遊舎ムック)</a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=toshi2234-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4863918720" width="1" height="1" border="0" alt="" />


<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
　今日は一年のうちで最も夜が長くて昼が短い「冬至」です。今日の正午、太陽の高度は一年のうちで最も低くなります。<br />　「冬至から畳の目ほど日が伸びる」という故事があります。言うまでもなく、冬至の日からほんのわずかずつ日が伸びるという意味ですが、ではどのくらい伸びるのかといいますと、一日あたりおよそ2分です。つまり、明日は今日よりも昼が2分長くなるというわけです。ところで、念のために申しあげておきますと、この現象は北半球での話で、南半球ではこの反対となります。<br />　冬至は、暦のうえでは冬の半ばですが、現実にはまだ冬の始まりです。寒さが苦手な人にとっては気の重い話ですが、冬至からその数日後にかけ、「年末低気圧」と呼ばれる低気圧が張り出し、これを境に寒さが厳しくなり始めます。<br />　最も寒くなるのは、その名前とは裏腹の立春頃。それをうまく表したこんな故事もあります。「冬至冬中（ふゆなか）冬はじめ」。冬至は、冬の真ん中でありながら始めでもあるという意味です。<br />　冬至には、小豆粥や南瓜（かぼちゃ）を食べたり、あるいは柚子湯にはいったりするなど、昔からさまざまな儀礼が行われてきました。この儀礼には、私たちの祖先が農耕民族であったせいかどうか、農耕の再生、衰弱からの再生という願いが込められていたようです。<br />　こうした風習は今もその面影を残しています。「冬至とうなす」はそのひとつで、故事で言う「冬至に南瓜を食うと中風（ちゅうぶう）にならぬ」というものです。「中風にならぬ」という部分は、地域によっては「風邪をひかない」とか「病気にならない」などとも言われていますが、いずれにしても南瓜は全国的に冬至の立て役者となっています。<br />　ハウス栽培などの技術がなかった昔、野菜が不足するいま頃の時期に、南瓜は貴重な野菜として、また、貯蔵がきくことなどから大いに利用され、再生儀礼の一翼を担ったということでしょう。<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B005ONONEC/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B005ONONEC&linkCode=as2&tag=toshi2234-22">冬至カボチャ1個-2,5kg前後</a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=toshi2234-22&l=as2&o=9&a=B005ONONEC" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4863918720/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4863918720&linkCode=as2&tag=toshi2234-22">日本のしきたりがまるごとわかる本 (晋遊舎ムック)</a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=toshi2234-22&l=as2&o=9&a=4863918720" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br /><br /><iframe src="http://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?t=toshi2234-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4838726252&ref=qf_sp_asin_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br /><a name="more"></a>

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            <category>生活</category>
      <author>プッチン</author>
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                </item>
        <item>
      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/383130689.html</link>
      <title>医療以外にも大きな貢献をした北里柴三郎</title>
      <pubDate>Fri, 20 Dec 2013 08:51:53 +0900</pubDate>
            <description>　いまから161年前、1852年の今日、日本の医学に大きな功績を残すことになる、一人の人物が誕生しました。破傷風菌の純粋培養や、免疫血清治療発見で知られる、細菌学者北里柴三郎です。　彼は肥後国（ひごのくに）北里村（現在の熊本県阿蘇郡小国町）の、庄屋の長男として生まれました。熊本の医学所病院、東京医学校、東京大学医学部と、一貫して医学の勉強に励み、内務省衛生局に入りました。衛生局では細菌学導入計画に加わり、衛生試験所細菌室で学ぶなど、細菌研究に深く関わっていきます。　その後ドイ..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　いまから161年前、1852年の今日、日本の医学に大きな功績を残すことになる、一人の人物が誕生しました。破傷風菌の純粋培養や、免疫血清治療発見で知られる、細菌学者北里柴三郎です。
　彼は肥後国（ひごのくに）北里村（現在の熊本県阿蘇郡小国町）の、庄屋の長男として生まれました。熊本の医学所病院、東京医学校、東京大学医学部と、一貫して医学の勉強に励み、内務省衛生局に入りました。衛生局では細菌学導入計画に加わり、衛生試験所細菌室で学ぶなど、細菌研究に深く関わっていきます。
　その後ドイツに留学し、コッホの研究室にはいります。彼が破傷風菌の純粋培養に成功したのはこの研究室でのことです。
　彼が創立した医学の研究機関、北里研究所は、彼が私財を投じて創立したもので、病気に関する研究をはじめ、医療知識の普及や発展、予防ワクチンや薬品の製造、検査、そして公衆衛生行政の指導者養成にいたるまで、幅広い目的をもった研究機関でした。
　この研究所の創立には、彼にとって不愉快な経緯があります。ドイツから帰国した彼は、まず、福沢諭吉の協力を得て大日本私立衛生会附属伝染病研究所を発足しました。明治25年、彼が39歳のときです。
　ところがその7年後、この伝染病研究所は内務省の管轄となり、さらにその15年後の大正3年には、大隈重信内閣が文部省に移管、東京帝国大学の付属とすることを決めました。所長だった北里はこれに抗議して辞職しますが、職員も彼に同調し、全員が辞めてしまうという異常事態に陥りました。そして新たに設立したのが北里研究所です。彼は生涯に渡り、研究所の所長を務め通しました。
　彼はジフテリアと破傷風の血清療法の発見、ペスト菌の発見など、医療に直接関係する功績のほか、慶應義塾大学医学部や北里大学の創設に尽力するなど、後進の育成にも多大な貢献をしました。
　後年、大日本私立衛生会会頭、日本医師会会長、第6回極東医学会会頭などを歴任し、1924年には男爵に叙せられました。人生を医学に捧げたといっても過言ではない北里は、1931年、昭和6年6月17日、脳出血により、その一生を終えました。78歳でした。


<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
　いまから161年前、1852年の今日、日本の医学に大きな功績を残すことになる、一人の人物が誕生しました。破傷風菌の純粋培養や、免疫血清治療発見で知られる、細菌学者北里柴三郎です。<br />　彼は肥後国（ひごのくに）北里村（現在の熊本県阿蘇郡小国町）の、庄屋の長男として生まれました。熊本の医学所病院、東京医学校、東京大学医学部と、一貫して医学の勉強に励み、内務省衛生局に入りました。衛生局では細菌学導入計画に加わり、衛生試験所細菌室で学ぶなど、細菌研究に深く関わっていきます。<br />　その後ドイツに留学し、コッホの研究室にはいります。彼が破傷風菌の純粋培養に成功したのはこの研究室でのことです。<br />　彼が創立した医学の研究機関、北里研究所は、彼が私財を投じて創立したもので、病気に関する研究をはじめ、医療知識の普及や発展、予防ワクチンや薬品の製造、検査、そして公衆衛生行政の指導者養成にいたるまで、幅広い目的をもった研究機関でした。<br />　この研究所の創立には、彼にとって不愉快な経緯があります。ドイツから帰国した彼は、まず、福沢諭吉の協力を得て大日本私立衛生会附属伝染病研究所を発足しました。明治25年、彼が39歳のときです。<br />　ところがその7年後、この伝染病研究所は内務省の管轄となり、さらにその15年後の大正3年には、大隈重信内閣が文部省に移管、東京帝国大学の付属とすることを決めました。所長だった北里はこれに抗議して辞職しますが、職員も彼に同調し、全員が辞めてしまうという異常事態に陥りました。そして新たに設立したのが北里研究所です。彼は生涯に渡り、研究所の所長を務め通しました。<br />　彼はジフテリアと破傷風の血清療法の発見、ペスト菌の発見など、医療に直接関係する功績のほか、慶應義塾大学医学部や北里大学の創設に尽力するなど、後進の育成にも多大な貢献をしました。<br />　後年、大日本私立衛生会会頭、日本医師会会長、第6回極東医学会会頭などを歴任し、1924年には男爵に叙せられました。人生を医学に捧げたといっても過言ではない北里は、1931年、昭和6年6月17日、脳出血により、その一生を終えました。78歳でした。<br /><br /><iframe src="http://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?t=toshi2234-22&o=9&p=15&l=st1&mode=books-jp&search=北里柴三郎&fc1=000000&lt1=_blank&lc1=3366FF&bg1=FFFFFF&f=ifr" marginwidth="0" marginheight="0" width="468" height="240" border="0" frameborder="0" style="border:none;" scrolling="no"></iframe><br /><a name="more"></a>

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            <category>人物</category>
      <author>プッチン</author>
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                </item>
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      <link>http://kurapuchi.seesaa.net/article/383045497.html</link>
      <title>イタチと「いたちごっこ」の関係</title>
      <pubDate>Thu, 19 Dec 2013 08:32:24 +0900</pubDate>
            <description>　イタチは人家の近くの山野などに棲み、普段は野ネズミやカエル、昆虫、魚などを餌にしています。農家にとって、農作物に被害をもたらす野ネズミは敵。その野ネズミを食べるイタチは、農家の側からすると有益な動物ということになります。　ところがイタチは、餌が不足する冬になると、家畜のニワトリや池のコイなどを狙うようになり、一転して敵となってしまいます。ときには必要以上にニワトリを食い殺すこともあるといいますから、人間にとっては深刻な問題です。　そんなことから、昔の農家では毛皮をとる目的も..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　イタチは人家の近くの山野などに棲み、普段は野ネズミやカエル、昆虫、魚などを餌にしています。農家にとって、農作物に被害をもたらす野ネズミは敵。その野ネズミを食べるイタチは、農家の側からすると有益な動物ということになります。
　ところがイタチは、餌が不足する冬になると、家畜のニワトリや池のコイなどを狙うようになり、一転して敵となってしまいます。ときには必要以上にニワトリを食い殺すこともあるといいますから、人間にとっては深刻な問題です。
　そんなことから、昔の農家では毛皮をとる目的も兼ね、鼬罠（いたちわな）と呼ばれる罠を仕掛けて捕獲しました。竹で作った「箱罠（はこわな）」と呼ばれるものが多く使われていましたが、これは、縦横それぞれ30センチ、長さ60センチほどの大きさで、イタチが箱の中の餌に食いつくと、天秤（てんびん）で吊り下げられている入り口のふたが閉まるという仕組みになっています。
　まさにイタチにとっての冬は受難の季節というわけですが、人間の世界では、冬のイタチは季節の風物のような捉え方をされ、俳諧ではイタチも鼬罠も冬の季語となっています。
　現在では見かけることがありませんが、かつてはいたちごっこという、子供の遊びがありました。二人、ときには数人で向き合い、「いたちごっこ、ねずみごっこ」と唱えながら相手の手の甲をつまみ、その手を次々に重ねていくという遊びです。
　昔はイタチが群れをなすのは災いが起きる前触れだとされていました。いたちごっこは、イタチやネズミの行動から災いを読みとることができるように、という思いがもとになって始まったのではないかと言われています。ただし、定かな説かどうかはわかりません。
　ところで、お互いに同じようなことを繰り返し、物事がなかなか進まないことを形容するときにもいたちごっこという言葉を使いますが、これは、遊びのいたちごっこが、同じ動作を何度も繰り返し行うところを捉え、例えに使われるようになったもののようです。

<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4046210109/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4046210109&amp;linkCode=as2&amp;tag=toshi2234-22">なつかしい日本の遊び201</a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=toshi2234-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4046210109" width="1" height="1" border="0" alt="" />


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　イタチは人家の近くの山野などに棲み、普段は野ネズミやカエル、昆虫、魚などを餌にしています。農家にとって、農作物に被害をもたらす野ネズミは敵。その野ネズミを食べるイタチは、農家の側からすると有益な動物ということになります。<br />　ところがイタチは、餌が不足する冬になると、家畜のニワトリや池のコイなどを狙うようになり、一転して敵となってしまいます。ときには必要以上にニワトリを食い殺すこともあるといいますから、人間にとっては深刻な問題です。<br />　そんなことから、昔の農家では毛皮をとる目的も兼ね、鼬罠（いたちわな）と呼ばれる罠を仕掛けて捕獲しました。竹で作った「箱罠（はこわな）」と呼ばれるものが多く使われていましたが、これは、縦横それぞれ30センチ、長さ60センチほどの大きさで、イタチが箱の中の餌に食いつくと、天秤（てんびん）で吊り下げられている入り口のふたが閉まるという仕組みになっています。<br />　まさにイタチにとっての冬は受難の季節というわけですが、人間の世界では、冬のイタチは季節の風物のような捉え方をされ、俳諧ではイタチも鼬罠も冬の季語となっています。<br />　現在では見かけることがありませんが、かつてはいたちごっこという、子供の遊びがありました。二人、ときには数人で向き合い、「いたちごっこ、ねずみごっこ」と唱えながら相手の手の甲をつまみ、その手を次々に重ねていくという遊びです。<br />　昔はイタチが群れをなすのは災いが起きる前触れだとされていました。いたちごっこは、イタチやネズミの行動から災いを読みとることができるように、という思いがもとになって始まったのではないかと言われています。ただし、定かな説かどうかはわかりません。<br />　ところで、お互いに同じようなことを繰り返し、物事がなかなか進まないことを形容するときにもいたちごっこという言葉を使いますが、これは、遊びのいたちごっこが、同じ動作を何度も繰り返し行うところを捉え、例えに使われるようになったもののようです。<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4046210109/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4046210109&linkCode=as2&tag=toshi2234-22">なつかしい日本の遊び201</a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=toshi2234-22&l=as2&o=9&a=4046210109" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br /><br /><iframe src="http://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?t=toshi2234-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4834001652&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br /><a name="more"></a>

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            <category>生活</category>
      <author>プッチン</author>
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      <title>ライト兄弟が動力飛行機で世界初飛行</title>
      <pubDate>Tue, 17 Dec 2013 07:46:18 +0900</pubDate>
            <description>　110年前の今日、1903年12月17日、航空機の歴史に記念すべき記録が生まれました。アメリカノースカロライナ州のキティホーク海岸で、動力飛行機として世界で初めて飛行に成功したのです。挑戦したのはライト兄弟。兄ウィルバー35歳、弟オービル32歳でした。　そのとき使われた飛行機は1人乗りの複葉機「フライヤー1号」。エンジンは水冷式の12馬力で、プロペラは木製の2枚羽根でした。機体はマツとトネリコの木材の骨組みにモスリンの布張り。重量70キロで、翼の面積は47.39平方メートル..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　110年前の今日、1903年12月17日、航空機の歴史に記念すべき記録が生まれました。アメリカノースカロライナ州のキティホーク海岸で、動力飛行機として世界で初めて飛行に成功したのです。挑戦したのはライト兄弟。兄ウィルバー35歳、弟オービル32歳でした。
　そのとき使われた飛行機は1人乗りの複葉機「フライヤー1号」。エンジンは水冷式の12馬力で、プロペラは木製の2枚羽根でした。機体はマツとトネリコの木材の骨組みにモスリンの布張り。重量70キロで、翼の面積は47.39平方メートルでした。座席などはなく、腹這いになって操縦する構造でした。
　実験は最初に弟が搭乗して行われ、飛行時間12秒、飛行距離30メートルを記録。続いての兄は59秒で260メートルでした。飛行時間や距離の長さはともかく、立派な成功と言えるものでした。
　ところで、この飛行実験にはちょっとしたエピソードがあります。じつは、成功した日の3日前、12月14日に、すでに一度実験が行われていたのです。そのときは弟が搭乗し、飛行時間3秒で31メートルを飛行していました。ところが、着地に失敗したため、成功とは認められなかったのです。
　兄弟は、飛行機に関わる前は自転車の製造販売業を営んでいました。商売が順調だったにもかかわらず、分野の異なる飛行機づくりに携わるようになったのは、ドイツのリリエンタールがグライダーの飛行実験で墜落死したことを知ったからでした。1896年8月のことです。
　リリエンタールの死から3年後の1899年5月、兄は科学啓発団体であるスミソニアン協会に航空関係の資料を求めるなど、飛行機の研究活動を本格化させました。
　そしてその年の8月、弟とともに、幅1.5メートルの、複式の翼がついた凧を製作し、基礎的な実験を行いました。翌1900年から1902年にかけて合計3機のグライダーを製作し、さまざまな実験を続けました。そして、1903年の動力飛行機へと道を拓いていったのです。
　ところで、初飛行成功の日の見物客はたったの5人だったということです。

<a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&amp;pid=877935733&amp;vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&amp;vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fhobby-shop-ks%2Fsd-1187.html" target="_blank"><img border="0" src="http://item.shopping.c.yimg.jp/i/c/hobby-shop-ks_sd-1187" alt="&#x3010;1&#x6A5F;&#x306E;&#x307F;&#x518D;&#x5165;&#x8377;&#x3057;&#x307E;&#x3057;&#x305F;&#xFF01;&#xFF01;&#x3011; 1/24 WRIGHT BROTHER&#39;S FLYER I  &#x30E9;&#x30A4;&#x30C8;&#x5144;&#x5F1F;  &#x30E9;&#x30A4;&#x30C8;&#x30D5;&#x30E9;&#x30A4;&#x30E4;&#x30FC;&#xFF11;&#x53F7;&#x6A5F;  &#x6A21;&#x578B;&#x98DB;&#x884C;&#x6A5F; &#xFF08;&#x4E16;&#x754C;&#x521D;&#x306E;&#x822A;&#x7A7A;&#x6A5F;&#xFF09; &#x30BD;&#x30EA;&#x30C3;&#x30C9;&#x30E2;&#x30C7;&#x30EB;">【1機のみ再入荷しました！！】 1/24 WRIGHT BROTHER'S FLYER I  ライト兄弟  ライトフライヤー１号機  模型飛行機 （世界初の航空機） ソリッドモデル<img src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&amp;pid=877935733&amp;vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><a></a>

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　110年前の今日、1903年12月17日、航空機の歴史に記念すべき記録が生まれました。アメリカノースカロライナ州のキティホーク海岸で、動力飛行機として世界で初めて飛行に成功したのです。挑戦したのはライト兄弟。兄ウィルバー35歳、弟オービル32歳でした。<br />　そのとき使われた飛行機は1人乗りの複葉機「フライヤー1号」。エンジンは水冷式の12馬力で、プロペラは木製の2枚羽根でした。機体はマツとトネリコの木材の骨組みにモスリンの布張り。重量70キロで、翼の面積は47.39平方メートルでした。座席などはなく、腹這いになって操縦する構造でした。<br />　実験は最初に弟が搭乗して行われ、飛行時間12秒、飛行距離30メートルを記録。続いての兄は59秒で260メートルでした。飛行時間や距離の長さはともかく、立派な成功と言えるものでした。<br />　ところで、この飛行実験にはちょっとしたエピソードがあります。じつは、成功した日の3日前、12月14日に、すでに一度実験が行われていたのです。そのときは弟が搭乗し、飛行時間3秒で31メートルを飛行していました。ところが、着地に失敗したため、成功とは認められなかったのです。<br />　兄弟は、飛行機に関わる前は自転車の製造販売業を営んでいました。商売が順調だったにもかかわらず、分野の異なる飛行機づくりに携わるようになったのは、ドイツのリリエンタールがグライダーの飛行実験で墜落死したことを知ったからでした。1896年8月のことです。<br />　リリエンタールの死から3年後の1899年5月、兄は科学啓発団体であるスミソニアン協会に航空関係の資料を求めるなど、飛行機の研究活動を本格化させました。<br />　そしてその年の8月、弟とともに、幅1.5メートルの、複式の翼がついた凧を製作し、基礎的な実験を行いました。翌1900年から1902年にかけて合計3機のグライダーを製作し、さまざまな実験を続けました。そして、1903年の動力飛行機へと道を拓いていったのです。<br />　ところで、初飛行成功の日の見物客はたったの5人だったということです。<br /><br /><a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fhobby-shop-ks%2Fsd-1187.html" target="_blank" ><img border="0" src="http://item.shopping.c.yimg.jp/i/c/hobby-shop-ks_sd-1187" alt="【1機のみ再入荷しました！！】 1/24 WRIGHT BROTHER'S FLYER I  ライト兄弟  ライトフライヤー１号機  模型飛行機 （世界初の航空機） ソリッドモデル"><br><br>【1機のみ再入荷しました！！】 1/24 WRIGHT BROTHER'S FLYER I  ライト兄弟  ライトフライヤー１号機  模型飛行機 （世界初の航空機） ソリッドモデル<img Src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><a name="more"></a>

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            <category>人物</category>
      <author>プッチン</author>
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      <title>日本で初めての電話実験</title>
      <pubDate>Mon, 16 Dec 2013 10:29:28 +0900</pubDate>
            <description>　123年前、1890年の今日、初めて東京・横浜間での電話交換業務が開始されました。東京千代田区に開設された電話交換局には、女性7人と、夜間勤務の男性2人の交換手が配属されていました。電話番号の1番は東京府庁、2番は逓信（ていしん）省でした。　当時の電話加入者数は、官公庁も含めて東京が155、横浜が42でした。　電流によって音を伝えようとする研究は1837年、アメリカのページが原理を発見したのをきっかけに、以後、フランスのブールスールやドイツのライスなどによって研究が進められ..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　123年前、1890年の今日、初めて東京・横浜間での電話交換業務が開始されました。東京千代田区に開設された電話交換局には、女性7人と、夜間勤務の男性2人の交換手が配属されていました。電話番号の1番は東京府庁、2番は逓信（ていしん）省でした。
　当時の電話加入者数は、官公庁も含めて東京が155、横浜が42でした。
　電流によって音を伝えようとする研究は1837年、アメリカのページが原理を発見したのをきっかけに、以後、フランスのブールスールやドイツのライスなどによって研究が進められていきました。
　そして、ページが原理を発見してからおよそ40年後の1876年3月、アメリカのグラハム・ベルがついに実用的な電話を発明したのでした。
　通話実験でベルが助手のワトソンに話しかけた言葉は、電話機を通して伝えられた史上初めての言葉として知られています。その言葉とは、Mr.Watson,come here,I want you.「ワトソン君、ちょっと来てくれないか」というような意味合いのものでした。
　この実験の成功によって電話の実用化は一挙に進歩し、このことからベルは「電話の父」と呼ばれるようになりました。
　1877年、明治10年に、ベルが発明した電話機と同じ型のものが2台、日本へ輸入されました。ベルが発明した翌年のことです。
　そしてその電話機は、赤坂御所内の宮内省と、赤坂溜池葵町の工部省に設置され、両省間の2キロの距離を隔てて実験が行われました。これが日本初の電話でした。
　その後、警察をはじめ、東京、横浜、大阪などの官庁が電話を導入するようになりました。明治16年には交換機を使った電話が官庁の間で使われるようになり、その7年後、東京・横浜間の電話交換業務開始へとつながっていきました。
　ベルが、もしも現代の電話事情を目にしたら、いったいどんなふうに思うでしょうか。

<a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&amp;pid=877935733&amp;vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&amp;vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fe-goods%2Fwavephone.html" target="_blank"><img border="0" src="http://item.shopping.c.yimg.jp/i/c/e-goods_wavephone" alt="WAVE PHONE(&#x56FA;&#x5B9A;&#x96FB;&#x8A71;&#x6A5F;/&#x672C;&#x4F53;/&#x30C7;&#x30B6;&#x30A4;&#x30F3;)">WAVE PHONE(固定電話機/本体/デザイン)<img src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&amp;pid=877935733&amp;vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
　123年前、1890年の今日、初めて東京・横浜間での電話交換業務が開始されました。東京千代田区に開設された電話交換局には、女性7人と、夜間勤務の男性2人の交換手が配属されていました。電話番号の1番は東京府庁、2番は逓信（ていしん）省でした。<br />　当時の電話加入者数は、官公庁も含めて東京が155、横浜が42でした。<br />　電流によって音を伝えようとする研究は1837年、アメリカのページが原理を発見したのをきっかけに、以後、フランスのブールスールやドイツのライスなどによって研究が進められていきました。<br />　そして、ページが原理を発見してからおよそ40年後の1876年3月、アメリカのグラハム・ベルがついに実用的な電話を発明したのでした。<br />　通話実験でベルが助手のワトソンに話しかけた言葉は、電話機を通して伝えられた史上初めての言葉として知られています。その言葉とは、Mr.Watson,come here,I want you.「ワトソン君、ちょっと来てくれないか」というような意味合いのものでした。<br />　この実験の成功によって電話の実用化は一挙に進歩し、このことからベルは「電話の父」と呼ばれるようになりました。<br />　1877年、明治10年に、ベルが発明した電話機と同じ型のものが2台、日本へ輸入されました。ベルが発明した翌年のことです。<br />　そしてその電話機は、赤坂御所内の宮内省と、赤坂溜池葵町の工部省に設置され、両省間の2キロの距離を隔てて実験が行われました。これが日本初の電話でした。<br />　その後、警察をはじめ、東京、横浜、大阪などの官庁が電話を導入するようになりました。明治16年には交換機を使った電話が官庁の間で使われるようになり、その7年後、東京・横浜間の電話交換業務開始へとつながっていきました。<br />　ベルが、もしも現代の電話事情を目にしたら、いったいどんなふうに思うでしょうか。<br /><br /><a href="http://atq.ck.valuecommerce.com/servlet/atq/referral?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fe-goods%2Fwavephone.html" target="_blank" ><img border="0" src="http://item.shopping.c.yimg.jp/i/c/e-goods_wavephone" alt="WAVE PHONE(固定電話機/本体/デザイン)"><br><br>WAVE PHONE(固定電話機/本体/デザイン)<img Src="http://atq.ad.valuecommerce.com/servlet/atq/gifbanner?sid=2219441&pid=877935733&vcptn=shpg%2Fp%2FLCkSsn_.Oq1S3RBY6uU9lQ--" height="1" width="1" border="0"></a><a name="more"></a>

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            <category>生活</category>
      <author>プッチン</author>
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