2014年01月03日

歳神(としがみ)と門松の関係

 現代の正月行事は、ただ単に年が明けたという事実だけを祝うイベントのようになってしまい、商業的な部分がかなり目立つような気もしますが、本来の正月行事の意義はもう少し奥深いものです。正月の祝いは仏教に由来するもので、新しい歳神の来臨を祝うという、厳かな信仰の心が込められています。
 歳神は、歳徳神(としとくじん)や正月様(しょうがつさま)、若年様(わかどしさま)などとも呼ばれ、年明けに各家へ降りてきて、その家に福徳や五穀豊穣をもたらす役目を担当する神様です。
 その歳神を招き寄せたり宿らせたりする役を果たすのが門松です。門のそばに立てるところから門松の名が付いたというわけですが、日本中がすべてそうかというと、そんなことはありません。地域によって独特な呼び方や形態があります。
 呼び方では、拝み松、飾り松、祝い松ほかいろいろ。材料も松に限らず、楢や椿、柳、栗などのほか種類が多く、しかもそれらを複数組み合わせる地域もあるとあって、デザインはバラエティーに富んでいます。立てる場所も同様で、座敷や床の間、神棚、土間、庭、というぐあいです。
 さらには、餅や雑煮などの食べ物を供えたり、手を合わせて拝んだりと、崇めかたもさまざま。飾っておく期間も、3日のところもあれば7日のところもあり、長いところでは14日間も飾るところありで、これまたばらばら。同じ歳神を祀るのに、これほど違いがあるのはおかしな感じですが、考えてみれば、そもそも民間信仰には、地域の風土や習俗が反映されるもの。むしろ当然のことなのかもしれません。
 歳神の存在を知らなかったという人、松の内の今日ならまだ間に合います。いまから拝めばいい年になるかもしれません。


ラベル:正月
posted by プッチン at 08:17| 行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月23日

秋分の日の法律上の趣旨は祖先をうやまう日

 夏の気配が徐々に遠ざかり、夜にはあちらこちらから虫の声が聞こえてくる時期になりました。昼と夜の長さの差が縮まり、今日はほとんど同じとなります。秋分の日です。秋分の日はたいてい9月の23日ですが、ときには24日になることもあります。
 秋分の日は太陽が天球上の秋分点を通過する日で、太陽は真東から昇って真西に沈みます。少々ややこしいことですが、秋分点について説明しましょう。まず、黄道(こうどう)というものがあります。これは、地球から見て太陽が地球を回っているように見える円、平たく言えば太陽の軌道のようなものです。その黄道が赤道と交わる点が二つありますが、そのうちの一つ、太陽が赤道を北から南へ横切る点が秋分点です。反対に、南から北へ横切るもう一つの点が春分の日の春分点というわけです。
 とにかく、そういうややこしい法則で昼夜の長さが同じというわけですが、秋分の日はそれを祝う日ではありません。もっとも、名前の上からは「秋を分ける日」とでも解釈できますから、そう思われても仕方ありませんが、法律上の趣旨は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」というものです。
 ご存知のように、秋分の日の前後各3日、合計1週間は秋の彼岸で、今日はその中日です。
 ところで、先人たちは遙か昔から、みずからたくさんの経験を重ねて知恵を得、現代社会の礎を築いてきました。暑さ寒さも彼岸までということわざ一つからも、そうしたことを改めて感じさせられたりもします。

家族で楽しむ日本の行事としきたり


posted by プッチン at 07:31| 行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月09日

浅草寺ほおずき市の起源

 ほおずきはナス科の多年草で、庭先に植えて実を鑑賞したり、種をもみだした実を口に入れて鳴らしたりするなど、古くから親しまれてきました。
 そのほおずきが主役となる市があります。東京浅草では、今日と明日の2日間、浅草観音で知られる浅草寺の境内で、毎年恒例となっているほおずき市が開かれます。
 寺の境内にはほおずきを売る店やさまざまな屋台が並び、大勢の参詣客で賑わいます。詣でた人はほおずきを買って帰り、それを煎じてお茶のように飲用します。子供が飲めば癇の虫封じに、女性が飲めば癪を治めるのに効くのだそうです。
 ほおずき市の起こりにはこんな謂われがあります。源頼朝が奥州征伐から引き上げる途中、浅草で軍勢を休ませました。頼朝は、日射病で弱っていた兵士を元気づけるため、赤く熟したほおずきの実を食べさせました。ほおずきの実がスタミナ補給に有効かどうかはさておき、とにかく、市の起源はその言い伝えに由来しているのだそうです。
 ちなみに、現代の漢方では、ほおずきの根を酸漿根と呼び、茎や葉とともに咳止め、利尿、解熱などに使います。
 ほおずき市の2日目、7月10日は、「四万六千日」と呼ばれる、浅草寺や護国寺の縁日でもあります。この日は「千日詣で」や「千日参り」とも呼ばれ、観世音菩薩のご利益にあずかれるのだそうです。
 この日のお参りはいつもと異なり、1日お参りするだけで、なんと4万6000日お参りしたのと同じご利益や功徳があるといわれています。


posted by プッチン at 09:26| 行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月03日

「鯉のぼり」の起こりは武家に対抗した町民のアイデア

 今日は憲法記念日です。1947年の5月3日、日本国憲法が施行されました。公布されたのは前年の11月3日でしたが、半年間の準備期間をおいたため、5月3日の施行となったものです。「国民の祝日に関する法律」という法律により、「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」という趣旨のもと、祝日に制定されました。
 さて、憲法の話はさておき、明後日は端午の節句です。端午の節句に欠かせないものはいくつかありますが、その筆頭にあげられるのは、やはり、豪快で人目にも多くふれる鯉のぼりでしょう。
 江戸時代の武家社会では「菖蒲の節供」と称し、家紋を染めた旗差し物や幟(のぼり)などを玄関の前に飾ることが流行しました。江戸時代中期からは町民が武家に対抗し、鯉をしるした幟を飾るようになりました。これが鯉のぼりの始まりです。
 この幟は後に紙製になり、さらに、幟の麾と呼ばれる小さな旗へと変わります。それが最終的に、現在のような吹き流し型に変わって落ち着いたというわけです。
 鯉は立身出世の象徴とされていますが、この言い伝えは、中国の「竜門伝説」の故事がもとになっています。竜門とは中国の黄河上流にある急流で、これをのぼりきった鯉は竜になるというものです。
 これをアレンジし、立身出世や人生の転機となるような、関門や試験などに置き換えたのが、俗に登竜門といわれるものです。
 鯉は、日本の淡水魚の中ではもっとも大きくなるクラスに属し、1メートルほどにまで成長する大物もいます。この貫禄と風格は古くから讃えられ、鑑賞魚としても高い価値と存在感を持っていました。
 ところで、「鯉の滝のぼり」も竜門伝説から派生した言葉ですが、ことわざや掛け軸の絵の勇ましさとは裏腹に、本物の鯉が滝をのぼるのはまず不可能なようです。鯉はジャンプが苦手で、水面からわずかに体を出して反転するのが精一杯だそうです。


posted by プッチン at 10:47| 行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月02日

雛祭りの菱餅は桃・残雪・大地を意味する

 明日は桃の節句、雛祭りです。雛祭りを迎えると、春が一気に本格化するような気がします。
 雛祭りは、むかし宮中で行われていた五節句のひとつで、「上巳(じょうし)の節句」とも呼ばれます。上巳とは、中国で旧暦3月の最初の巳(み)の日を言ったもので、後に、3月3日に限って言うようになりました。
 また、旧暦での3月上旬はちょうど桃の花が咲くころでした。このことから桃の節句と呼ばれるようになったというわけです。
 平安時代には、紙や土などで作った「形代(かたしろ)」と呼ばれる人形を、川や海に流す行事が行われていました。人間の代わりとなる形代に穢(けが)れや災厄を肩代わりしてもらい、無病息災や幸福を祈ったのです。これが「流し雛」と呼ばれるもので、現在でもこの風習が残る地域は少なくありません。
 中世になると、形代を川に流さないで飾るようになりました。足利時代には人形を作る技術も向上し、内裏雛を中心とする、現在の形に近い雛人形が登場してきます。
 そして、江戸時代には雛祭りという言葉も生まれます。人形は次第に豪華さを増し、調度品などの種類も増えていきます。しかし、雛祭りが全国の庶民のあいだにまで広がるのはずっと後、明治以後のことでした。
 雛祭りに飾るものは、内裏雛をはじめ、三人官女、五人囃子、右大臣や左大臣などの人形、ぼんぼり、嫁入り道具のたんすや鏡台などのほか、菱餅、雛あられ、白酒などです。
 菱餅は赤、白、緑の餅を重ねたもので、赤は桃、白は残雪、緑は大地を意味しています。赤はクチナシの果実、緑はヨモギの葉で着色するのが慣わしとなっています。
 雛祭りに白酒を供えるようになったのは江戸時代からでした。室町時代、江戸神田鎌倉河岸の酒屋、豊島屋の主人の夢にお雛さまが現れ、白酒の造り方を教えました。さっそくやってみると大ヒット。以来、雛祭りに供えられるようになったのだそうです。
 ほかに、雛祭りでは散らし寿司やハマグリの吸い物なども祝いの食べ物とされています。


posted by プッチン at 18:17| 行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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