2014年01月10日

イギリスで世界で初めての地下鉄が開通

 今から151年前の今日、1863年1月10日、世界で初めての地下鉄が開通しました。場所はイギリスのロンドン。ビショップス・ロードとファーリンドン・ストリート間のおよそ6キロでした。
 この地下鉄に使われた動力機関は、驚くことに電車ではなく、燃料を燃やして走る方式を採用していました。ただし、使われた燃料は石炭ではなく、煤(すす)や煙が少ないコークスというものでした。
 とはいうものの、やはり煙突は必要で、路線の各所に排煙用の穴が設けられ、駅には天井を作りませんでした。それでも列車内には臭いがこもり、「下水鉄道」などという、ありがたくないニックネームを授かっていたそうです。ちなみに、照明も電灯ではなく、ガス灯でした。電気機関車が登場するのはずっと後、17年後の1890年のことで、場所は同じロンドンでした。
 これ以後の主な地下鉄開通を誕生順にあげると、ハンガリーのブダペスト、イギリスのグラスゴー、アメリカのボストン、パリ、ドイツのベルリン、ニューヨーク、アルゼンチンのブエノスアイレス、モスクワと続き、ここまでが、世界初の地下鉄誕生からちょうど70年間のこと。
 ここで第二次世界大戦を挟み、その後スウェーデンのストックホルム、イタリアのローマ、中国の北京、韓国ソウル、釜山というぐあいに続きます。
 日本はどうかというと、昭和2年に開通した、上野・浅草間の2.2キロが最初で、その6年後に大阪で開通した、梅田・心斎橋間の3.1キロが二番手。ほかにも建設計画はあったものの、第二次世界大戦の激化に阻まれ、しばらくはストップしてしまいます。
 そして戦後、東京や大阪では路線の増加が加速し、ほかの大都市でも開発が始まります。現在、名古屋、札幌、横浜、神戸、京都、福岡、仙台で地下鉄が走っています。
 ちなみに世界では、およそ70の都市で普及しているそうです。

東京メトロのひみつ
日本の地下鉄 (イカロス・ムック)


posted by プッチン at 10:01| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月04日

達磨(だるま)と起きあがり小法師

 正月は、おめでとうという言葉が最も多く飛び交う月です。三が日だけでも、何回見たり聞いたり、あるいは口にしたりしたかわからないこの言葉は、愛でるの連用形「愛で」と、「甚し」という2つの言葉が基になっています。「愛で」は褒め讃える、「甚し」は甚だしいという意味です。つまり、元は「絶賛に値する」という意味で、あとはお察しの通り、「愛で甚し」が短く詰まり、「めでたし」となったというわけです。
 さて、めでたい縁起物の一つに達磨があります。中でも少林山の福達磨は有名で、全国でも圧倒的なシェアを誇っています。七転八起の根性は「起きあがり達磨」の天分。商売繁盛、招福開運の縁起を担ぎ、間もなく各地で開かれる達磨市は、福を求める大勢の人たちで賑わいます。
 かつて、養蚕が盛んな関東地方では、蚕の順調な上簇を願い、その縁起を目無し達磨に求めていました。上簇とは、蚕が成熟し、繭を作るための簇という用具に入ること、あるいは入れることをいいます。この習俗は現在でも名残があり、達磨とのつながりが深いことを物語っています。
 達磨の起こりは室町時代で、基となったのは、上方地方で作られた起きあがり小法師でした。それが16世紀前半の享保年間に江戸へ伝わり、張り子の起きあがり達磨が誕生したと考えられています。
 これがブームとなり、二匹目の泥鰌を狙ったのかどうか、七福神の起きあがり玩具なども登場しましたが、達磨の人気には勝てず、達磨の独壇場となりました。さらには、「起きあがり」という言葉が、張り子達磨の代名詞となるまでに定着し、以後、座禅姿の達磨大師のごとく、まさに「不動」の地位を築いたというわけです。
 ところで、達磨のモデル、達磨大師は、南インドのバラモンに生まれ、お経を訳す般若多羅という僧に学んだ後、中国に渡って禅宗の始祖となった高僧です。面壁九年といわれる禅を組んだのは崇山の少林寺です。面壁九年は、「忍耐強く、一つの事を成し遂げる」という意味の故事です。

高崎だるま 福だるま5号 赤


posted by プッチン at 08:59| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月02日

羽根突きが庶民の間に広がったのは江戸時代以降

 羽根突きは、古くは宮中の正月行事として行われていたもので、公家や女官たちが男組と女組に分かれ、勝ち負けを競っていたといわれています。ただし、勝敗には賭け事の要素も含まれていたそうですから、どうやらおとなの遊びだったようです。
 それが庶民の間に広がり、盛んになるのは江戸時代以降のことで、この頃から女の子の遊びとして定着していきました。
 羽根突きは、「追い羽根」や「遣(や)り羽根」と呼ばれる、二人でお互いに羽根を突き返す遊び方がポピュラーですが、遊び相手が二人以上いても、それぞれが一人で突いて、その回数を競う「揚(あ)げ羽根」、または「突き羽根」と呼ばれるものもあります。これはこれでおもしろいと思いますが、やはり、お互いに突き合うほうが賑やかでもあり、楽しいのではないでしょうか。
 かつて、羽子板は胡鬼板(こぎいた)とも呼ばれ、地味で簡素なものでした。それが、元禄の頃から次第に華やかなものへと変わっていきます。初日の出、鶴や亀、宝尽くし、花や鳥、美人画などが描かれるようになりました。
 さらに、文化・文政の頃には、狂言の人気役者の似顔の押し絵が登場するなど、豪華で高級なものも出回るようになりました。この頃には装飾品としての地位も確立し、歳末には羽子板市が開かれるまでになりました。
 羽根は、蚊の敵である蜻蛉(とんぼ)を模したもので、これを羽子板で突くことによって、蚊にさされるのを防いだり、蚊を退治できるというまじないが込められているのだそうです。
 羽根の球は、一般的には無患子(むくろじ)という落葉高木の種子に鳥の羽を植え込んだものです。このタイプの羽根ができる以前は、竹を細く裂いたものや、竹筒に紙を差し込んだものなどが使われていたこともあったそうです。
 遊びが多様化した現代では、羽根突きをしている光景を見かけることが少なくなってしまいましたが、なんとか、後世にまで残ってほしいものです。

posted by プッチン at 09:35| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月24日

クリスマスツリーとクリスマスカード

 1777年12月、キャプテン・クックの通称で知られる、イギリス海軍の軍人で探検家のジェームズ・クックが、太平洋中央部、ポリネシア北西部に位置するライン諸島の環礁に到着しました。環礁とは環状の珊瑚礁のことで、部分的に島のようになっています。
 この島とクリスマスが、どんな関係があるのか。じつは、この島の名前はクリスマス島なのです。クックはこの島でクリスマスを過ごし、それにちなんでクリスマス島と命名したのでした。236年前のことです。
 島の陸部面積は244平方キロメートル。1888年にイギリス領となり、現在はキリバス共和国に属しています。かつてはココヤシや真珠貝が産することで知られていましたが、現在はコプラ産業や観光に力を入れています。
 話は変わってクリスマスカード。これは、キリストの誕生を祝福し、その喜びを友人や知人などに伝えるためのものです。表紙にはクリスマスにちなむ絵をあしらい、中面に祝いの言葉を記します。
 このような、絵と文章を用いたものが初めて使われたのは1843年のイギリスで、考案者はヘンリー・コール、執筆者はジョン・ホーズリーという人物といわれています。
 カードには新年を祝うメッセージが併記されることも多く、日本でいうと年賀状のようなものともいえます。
 クリスマスツリーの起源はドイツで、ライン川上流の左岸の地域とされています。11世紀に演じられていたドイツの宗教劇では、モミの木にリンゴを吊してエデンの園を表し、ろうそくを飾ることで光を表したそうです。
 ヨーロッパの冬は雪と闇に閉ざされることから、春の明るい陽光や緑を思う気持ちが強く、キリスト教が伝わる以前から、常緑樹のモミの木を飾る風習があったと言われています。ところで、モミの木は三角形をしていますが、この形は信仰や希望、慈悲などを象徴しているのだそうです。


posted by プッチン at 08:05| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月22日

冬至と南瓜(かぼちゃ)

 今日は一年のうちで最も夜が長くて昼が短い「冬至」です。今日の正午、太陽の高度は一年のうちで最も低くなります。
 「冬至から畳の目ほど日が伸びる」という故事があります。言うまでもなく、冬至の日からほんのわずかずつ日が伸びるという意味ですが、ではどのくらい伸びるのかといいますと、一日あたりおよそ2分です。つまり、明日は今日よりも昼が2分長くなるというわけです。ところで、念のために申しあげておきますと、この現象は北半球での話で、南半球ではこの反対となります。
 冬至は、暦のうえでは冬の半ばですが、現実にはまだ冬の始まりです。寒さが苦手な人にとっては気の重い話ですが、冬至からその数日後にかけ、「年末低気圧」と呼ばれる低気圧が張り出し、これを境に寒さが厳しくなり始めます。
 最も寒くなるのは、その名前とは裏腹の立春頃。それをうまく表したこんな故事もあります。「冬至冬中(ふゆなか)冬はじめ」。冬至は、冬の真ん中でありながら始めでもあるという意味です。
 冬至には、小豆粥や南瓜(かぼちゃ)を食べたり、あるいは柚子湯にはいったりするなど、昔からさまざまな儀礼が行われてきました。この儀礼には、私たちの祖先が農耕民族であったせいかどうか、農耕の再生、衰弱からの再生という願いが込められていたようです。
 こうした風習は今もその面影を残しています。「冬至とうなす」はそのひとつで、故事で言う「冬至に南瓜を食うと中風(ちゅうぶう)にならぬ」というものです。「中風にならぬ」という部分は、地域によっては「風邪をひかない」とか「病気にならない」などとも言われていますが、いずれにしても南瓜は全国的に冬至の立て役者となっています。
 ハウス栽培などの技術がなかった昔、野菜が不足するいま頃の時期に、南瓜は貴重な野菜として、また、貯蔵がきくことなどから大いに利用され、再生儀礼の一翼を担ったということでしょう。

冬至カボチャ1個-2,5kg前後
日本のしきたりがまるごとわかる本 (晋遊舎ムック)


posted by プッチン at 09:21| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。