それが庶民の間に広がり、盛んになるのは江戸時代以降のことで、この頃から女の子の遊びとして定着していきました。
羽根突きは、「追い羽根」や「遣(や)り羽根」と呼ばれる、二人でお互いに羽根を突き返す遊び方がポピュラーですが、遊び相手が二人以上いても、それぞれが一人で突いて、その回数を競う「揚(あ)げ羽根」、または「突き羽根」と呼ばれるものもあります。これはこれでおもしろいと思いますが、やはり、お互いに突き合うほうが賑やかでもあり、楽しいのではないでしょうか。
かつて、羽子板は胡鬼板(こぎいた)とも呼ばれ、地味で簡素なものでした。それが、元禄の頃から次第に華やかなものへと変わっていきます。初日の出、鶴や亀、宝尽くし、花や鳥、美人画などが描かれるようになりました。
さらに、文化・文政の頃には、狂言の人気役者の似顔の押し絵が登場するなど、豪華で高級なものも出回るようになりました。この頃には装飾品としての地位も確立し、歳末には羽子板市が開かれるまでになりました。
羽根は、蚊の敵である蜻蛉(とんぼ)を模したもので、これを羽子板で突くことによって、蚊にさされるのを防いだり、蚊を退治できるというまじないが込められているのだそうです。
羽根の球は、一般的には無患子(むくろじ)という落葉高木の種子に鳥の羽を植え込んだものです。このタイプの羽根ができる以前は、竹を細く裂いたものや、竹筒に紙を差し込んだものなどが使われていたこともあったそうです。
遊びが多様化した現代では、羽根突きをしている光景を見かけることが少なくなってしまいましたが、なんとか、後世にまで残ってほしいものです。