2013年12月31日

年越しそばの由来

 大晦日の風物のひとつに年越しそばがあります。一年を振り返り、今年がいい年でなかった人は、「来年こそいい年になりますように」と願い、いい年だった人は、「来年もいい年に」とか、「もっといい年に」などと願いながら食べる縁起ものです。
 年越しそばの由来には次のような説があります。
 時は江戸時代。大坂で、金や銀を細工する職人が、一年の仕事納めに、仕事場のあちこちに散らばった金粉や銀粉を集めました。そば粉を練って作った団子を、床や畳、筵などに押しつけ、団子にくっつけるという方法で、最後にその団子を焼くと灰になり、金粉や銀粉が残るというわけです。
 この話が、そばは金銀を集める、そばを食べると金運に恵まれる、というぐあいに変化して世間に広まり、大晦日にそばを食べる風習が生まれたといわれています。
 ただし当初は、そばはそばでも、そば粉にお湯を加えて練っただけの、麺類とはほど遠いそば粉のかたまり、「そば掻き」や「そば練り」と呼ばれるものだったようです。
 そばが現在のような麺に姿を変えるのは、五代将軍綱吉の時代、元禄年間といわれています。山芋や卵をつなぎとしてそば粉に加え、練って平たく延ばした後、細く長く切りました。この、そば掻きにはない「切る」という特徴が由縁で「そば切り」と呼ばれるようになり、麺の細長い形が、「細く長く生きる」、「長寿になる」などの縁起につながったといわれています。
 縁起はともかく、来年がいい年であってほしいものです。

そば 越前そば 6食セット

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2013年12月30日

餅と雑煮はおめでたい日の食べ物

 正月用の餅を自分の家でつく人もいるかと思いますが、29日に餅をつくものではない、という俗信があります。こうした俗信は時代の変化とともに忘れ去られてしまうことが多いものですが、この俗信も、昨今では知らない人のほうが多いかもしれません。念のため説明しておきますと、29日に餅をついてはいけないというのは、29日の9という数字が、苦痛や苦労の「苦」につながるから、ということなのだそうです。
 でも、これはあくまでも俗信。知らずに29日についたとしても、おいしくいただけばそれでよし。苦にはならないことでしょう。
 昔から、餅はハレの日、つまり、おめでたい日の食べ物とされてきました。そのせいか、餅には神秘的な力が働いていると信じられていたことも多かったようです。
 大分県には、長者が弓矢で餅を射たところ、その餅が白鳥となって飛び去り、餅を射た長者は没落したという伝説があるそうです。
 また、新潟県の一地域では、小正月の餅団子を小豆粥(あずきがゆ)に入れたものを力餅と呼び、食べると力が出ると言われているそうですし、佐賀県の一部では、正月二十日の力持ちを食べると病気にならないと伝えられるなど、各地にさまざまな俗信が伝えられています。
 おめでたいとされる餅同様、雑煮もハレの日の料理とされています。雑煮の始まりは、年神に供えた餅を神棚から下げ、野菜、鶏肉、魚などといっしょに煮込んだもので、雑煮餅とも呼ばれていました。
 正月に雑煮を食べる習慣は、室町時代後期のころに定着したといわれています。ただし、三が日に祝い料理として食べられるようになったのは後の世、江戸時代後期からです。
 江戸時代末期になると、庶民は雑煮を食べ、正月三が日を祝うようになりました。たとえ貧しくても、雑煮だけは欠かさなかったといいますから、現代とは比べようのないほどの存在感があったようです。


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2013年12月29日

アンコウは背骨以外はほとんど食べられる

 冬という季節は魚好きの人にとっては嬉しい季節でしょう。ほとんどの魚類は産卵に備えたり寒さから身を守ったりするため、脂がのっておいしくなるからです。不格好というか不気味というか、とにかく見た目の割には美味という魚、アンコウもその一つです。
 アンコウを料理するときは、まず下あごから縄を通して吊します。次に、口から大量の水を注ぎ込んで腹をふくらませ、皮を剥いでから肉を削ぎます。そして内臓を取り、最後に骨を断ちます。アンコウを吊すのは、皮や肉が柔らかく、俎板の上ではさばきにくいからで、これを「鮟鱇(アンコウ)の吊し切り」といいます。
 「鮟鱇は唇ばかり残るなり」と詠んだ江戸川柳がありますが、背骨以外はほとんど食べることができます。俗に「七つ道具」といわれ、肉、皮、鰭、鰓、胃、腸、肝臓の7つすべてを食べられるというわけです。
 可食部が多い分、料理の種類も多く、煮物や吸い物、和え物ほか、さまざまな形に調理されますが、やはり定番は鍋でしょう。「鮟鱇鍋」は、肉や皮、内臓と一緒に、豆腐、ネギ、ウドなどを鍋に入れ、割下で煮込みます。味がよくて栄養もあり、体も温まるとあって冬に人気が高い料理の上位にランクします。
 アンコウは暗く冷たい、水深100メートルから400メートルほどの海底を生活圏とし、普段はあまり動き回ることがありません。餌を取る方法は、頭に付いたアンテナ状の疑似餌を揺らしながら、ただひたすら待ち続けるというものぐさなもの。
 このようすを皮肉ったことわざに、「鮟鱇の待ち食い」というものがあります。働きもせずに利益を得ようとすること、また、そのような人という意味です。「鮟鱇の餌待ち」という言葉もあります。これは、ポカンと口を開いた間抜けなようすという意味。
 アンコウは動かない割には大食漢で、自分の体重の3分の1以上もの量の餌を一度にとります。なにしろ、ことわざにもなるほどのんきな「鮟鱇の待ち食い」。長い絶食状態を想定した自然の摂理と思いますが、それにしても畏るべき胃袋ではあります。

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2013年12月28日

塩鮭にも新巻鮭にも手間ひまがかかっている

 春、川を下って海へ出た鮭の稚魚が、ふたたび生まれ故郷へ帰ってくるのは、3年後から6年後の秋から翌年1月頃までの間。今年も間もなく終わろうという今頃の時期は、鮭の遡上もそろそろ終盤となります。
 鮭にはいくつかの種類がありますが、単に鮭という場合は白鮭をさすのが一般的で、区別するときには、紅鮭、銀鮭のように呼び分けます。日本で食用とされる鮭は白鮭が主流で、塩鮭や新巻鮭に使われるのも白鮭です。ちなみに欧米では、肉の色が鮮やかな紅鮭のほうが好まれているようです。
 遡上するために日本近海へ回遊してくる頃の鮭は、産卵に備えてたっぷり栄養をとり、脂ものっているため、もっともおいしい時期となります。日本へ回遊する白鮭は、トキシラズ群とアキザケ群の二種に分けられますが、北海道ではアキザケを特別に「秋味」と呼び、特に美味としています。
 遡上を始めた鮭の肉質は、上流へ行くに連れて次第に落ちていきます。速い流れに逆らって泳ぐだけでも重労働なのに、川をのぼり始めたとたん、餌をまったくとらなくなるという習性があるからです。言うまでもなく、体力が消耗して肉が痩せ、味も栄養価も落ちてしまうというわけです。
 保存用に加工したものに、塩鮭や新巻鮭があります。塩鮭は、白鮭の内臓を取り除いた後、口や腹の中に塩を詰めて体全体に塩をまぶしたものですが、これだけで完成というわけではありません。一度塩をまぶしたら、専用の倉庫などに積み上げ、数日後、上下の順序を入れ替えながらふたたび塩をまぶします。これは「手返し」と呼ばれる工程で、これを何回か繰り返し、3週間ほどかけてやっと仕上がるという、けっこう手の込んだものなのです。
 一方の新巻鮭は、基本的な作り方は塩鮭と同じものの、塩鮭より薄塩で仕立てられた上等品で、体を縄で巻いたものです。
 昔の人は、鮭の帰郷本能に神秘的なものを感じていたらしく、神の恵みによる魚と信じ、晴れがましい日にふさわしい食べ物としていました。新巻鮭が、お歳暮などの贈答品や年越しの魚として使われる習慣は、そうした思い入れから生まれたと言われています。

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新巻鮭/銀毛 秋鮭 使用/自家網元仕込み 北海道 昆布森沖獲れ2キロ前後

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2013年12月24日

クリスマスツリーとクリスマスカード

 1777年12月、キャプテン・クックの通称で知られる、イギリス海軍の軍人で探検家のジェームズ・クックが、太平洋中央部、ポリネシア北西部に位置するライン諸島の環礁に到着しました。環礁とは環状の珊瑚礁のことで、部分的に島のようになっています。
 この島とクリスマスが、どんな関係があるのか。じつは、この島の名前はクリスマス島なのです。クックはこの島でクリスマスを過ごし、それにちなんでクリスマス島と命名したのでした。236年前のことです。
 島の陸部面積は244平方キロメートル。1888年にイギリス領となり、現在はキリバス共和国に属しています。かつてはココヤシや真珠貝が産することで知られていましたが、現在はコプラ産業や観光に力を入れています。
 話は変わってクリスマスカード。これは、キリストの誕生を祝福し、その喜びを友人や知人などに伝えるためのものです。表紙にはクリスマスにちなむ絵をあしらい、中面に祝いの言葉を記します。
 このような、絵と文章を用いたものが初めて使われたのは1843年のイギリスで、考案者はヘンリー・コール、執筆者はジョン・ホーズリーという人物といわれています。
 カードには新年を祝うメッセージが併記されることも多く、日本でいうと年賀状のようなものともいえます。
 クリスマスツリーの起源はドイツで、ライン川上流の左岸の地域とされています。11世紀に演じられていたドイツの宗教劇では、モミの木にリンゴを吊してエデンの園を表し、ろうそくを飾ることで光を表したそうです。
 ヨーロッパの冬は雪と闇に閉ざされることから、春の明るい陽光や緑を思う気持ちが強く、キリスト教が伝わる以前から、常緑樹のモミの木を飾る風習があったと言われています。ところで、モミの木は三角形をしていますが、この形は信仰や希望、慈悲などを象徴しているのだそうです。


posted by プッチン at 08:05| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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