2013年04月30日

山菜と野菜を区別しはじめた時期は室町時代

 4月も今日で終わりです。田や畑に、農作業をする人たちの姿が目立ち始める時期ですが、この頃になると、野山にも人の姿がよく見られるようになります。山菜採りの人たちです。
 現在、一般的に呼ばれている山菜も、昔は特に山菜とは呼ばず、日々の暮らしに必要な食料として日常的に食べていたようです。
 室町時代頃から野菜が本格的に栽培されるようになりましたが、野菜と山菜とを区別し始めたのは、どうやらその頃のようです。
 ところで、現在はフキやワラビをはじめ、農家などによって栽培されるものがたくさん出回っていますが、本来の山菜は「山野に自生している草本(そうほん)や木の芽で、このうち食用になるもの」のことを言います。
 その意味からすると、栽培されたものを厳密に言えば「山菜ふう野菜」、とでもいうことになるのでしょうか。
 山菜採りには、食べる楽しみのほかに、自分で収穫する楽しさ、山を歩く楽しさ、自然に触れる楽しさなどがあります。そのうえ、自生している山菜は無農薬で、しかもただ。これだけいいことずくめなら、山菜採りに人気があるのもうなずけるというものです。
 ここで気を付けたいのがマナーです。山菜を根こそぎ採ったり、山にゴミを捨てたりしないようにしたいものです。山菜を採り尽くされたあげく、文字通りゴミの山となって、ついに入山を禁止した山もあるそうです。
 ワラビやゼンマイなどはよく知られた山菜ですが、身近なところではタンポポやオオバコ、ツクシなどのほか、ペンペン草の異名でおなじみのナズナなども山菜に含まれます。


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2013年04月27日

茶は晩春の一番茶から初秋の四番茶まで

 まもなく4月も終わりです。大型連休へ突入という方もおいでかと思いますが、この時期、お茶の栽培農家では収穫作業に追われ、連休どころか3時のお茶もままならないというところです。
 いま収穫されているのは一番茶で、茶摘みのピークは八十八夜の頃です。八十八夜は、立春から数えて88日目のことで、今年は5月2日が八十八夜となります。「夏も近づく八十八夜」で始まる文部省唱歌の「茶摘」という歌をご存じでしょう。言うまでもなく、この歌は一番茶の収穫を歌ったものです。
 ところでこの歌、詩も曲も、作者が誰なのかいまだにわかっていません。歌のテーマはお茶ですが、文部省の作者探しは「お茶の子さいさい」とはいかないようです。名曲なだけに残念に思えてなりません。
 さて、一番茶のあとは、6月の終わりから7月にかけて二番茶、8月に三番茶と続きます。二番茶と三番茶は夏茶とも呼ばれ、苦味や渋味が強いのが特徴です。そして9月、締めくくりの四番茶となります。
 日本で最初に茶が栽培されたのは、およそ1200年前の延暦24年、西暦805年のことです。天台宗の開祖、最澄が中国から種子を持ち帰り、比叡山の山麓へ植えたのが始まりです。ただし、その後400年近くは、茶は貴重な飲み物とされ、朝廷や寺院などでわずかに飲まれていただけでした。
 一般社会に茶が普及するきっかけとなったのは、1191年に、栄西という僧侶が茶の種子を宋から持ち帰ったことでした。種子を育てた栄西は、それを京都の明恵という僧侶に贈りました。明恵はそれを栽培して増やし、宇治、伊勢の河合、駿河の清見、武蔵の川越など10か所ほどに植えました。現在の宇治茶や静岡茶、狭山茶などはその流れをくむ銘柄です。ちなみに、現在生産がもっとも盛んなのは静岡県で、全国生産量のおよそ半分を占めています。
 ところで、先ほど「お茶の子さいさい」ということわざを使いましたが、「お茶の子」というのはお茶菓子のことで、腹にもたれないことから、「簡単にできる」という意味に使われます。「さいさい」は調子を取るための、単なる囃し言葉です。

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2013年04月26日

尾瀬と水芭蕉と歌と

 駆け足のような春から初夏へと、季節は確実に移ろいつつあります。里とはタイムラグがありますが、本州最大の高層湿原である尾瀬も、日々、その気配を濃くしています。今頃の時期からは、夏の到来を告げるように、水芭蕉が咲きはじめます。
 水芭蕉は寒い地方の湿原などに群生するサトイモ科の多年草で、日本では主に中部地方以北の北日本に分布しますが、樺太やウスリー地方などにも見られます。
 一見、一枚の大きな花びらのように見える白い部分は仏炎苞と呼ばれるもので、葉でも花でもありません。実際の花は小さく、仏炎苞に包まれるような格好で中央に突き出している、棒状の部分に密生しています。
 「夏が来れば思い出す」という出だしで始まる「夏の思い出」という歌が、尾瀬と水芭蕉を一躍有名にしたというエピソードはよく知られています。この曲が世に出たのは昭和24年6月。NHKラジオの「ラジオ歌謡」という番組の中で放送され、わずか一週間という短い放送期間であったにもかかわらず、たちまち人々の心をつかんでしまいました。
 作詞は、小説や童話などの著作もある詩人の江間章子、作曲は、後に「雪の降る街を」や「小さい秋みつけた」などのほか、多くの名曲を送り出した中田喜直で、歌ったのは石井好子でした。
 江間章子が尾瀬を訪れたのは第二次大戦中で、このときが江間と尾瀬との初めての出会いでした。当時は水芭蕉よりも日光黄菅のほうが主役的存在だったようで、訪れるハイカーも、日光黄菅の咲く夏の最中が多かったといいます。
 江間が訪れたときは折しも水芭蕉の季節でした。まだ存在感の薄かった水芭蕉を詩に詠み込んだことからも、詩人江間が水芭蕉から大変な感動を受けたであろうことが容易にうかがえます。
 昭和初期には2000人程度といわれていた尾瀬への訪問者は、「夏の思い出」以後年々増加し、平成13年度にはおよそ45万人に達したそうです。
 近年、尾瀬の環境問題が深刻化していますが、なんとか、美しい姿を保ち続けてもらいたいものです。


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posted by プッチン at 10:33| 気候風土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月25日

山椒も山椒魚も名の由来はややこしい

 そろそろ春も終盤となり、地上に緑が目立つようになりました。草や花と足並みをそろえるかのように、街路樹や野山の木々にも、瑞々しい新芽が吹きはじめています。
 香辛料の原料として知られる山椒も、そんな木々のひとつです。山椒の若い芽は特別に「木の芽」と呼ばれ、吸い物に浮かせたり、和え物などの香辛料として利用されるほか、木の芽和え、木の芽味噌、木の芽田楽(でんがく)など、さまざまな形で利用されます。
 山椒は春のなかば頃になると、葉のつけ根から出る房状の花の穂に小さな黄色い花をたくさんつけます。この花は、秋になると直径5ミリほどの球形の実になります。熟すと赤くなり、その後、皮が裂けて黒い種子が現れます。その種子を粉末にしたものが「粉ざんしょう」と呼ばれるもので、七味唐辛子の原料のひとつとなったり、鰻の蒲焼きの香辛料になったりします。鰻の蒲焼きに使われるのは、香辛料としてだけでなく、食欲増進、脱臭や解毒などの効用があるためで、ちょうど刺身に対する山葵(わさび)のようなものです。
 山椒は、もとは山椒という名ではありませんでした。山椒という名になったのは中世以降のことで、それ以前は椒(はじかみ)と呼ばれていました。ところが、生姜(しょうが)も同じく椒と呼ばれていたため、山椒のほうを、実がなるという意味のナルハジカミや、実が房状であることからフサハジカミと呼び、生姜と区別していたのだそうです。
 ところで、山椒魚という生き物がいますが、なぜ山椒の名を拝借したのでしょうか。これにはふたつの説があります。ひとつは、山椒魚の外皮、人間でいえば皮膚ですが、その外皮が山椒の木の皮に似ているからというもの。もうひとつは、山椒魚の体の臭いが山椒の臭いに似ているからというものです。どちらの説が正しいのか、あるいは両方とも正しいのかわかりませんが、いずれにしても、山椒とはそんな関係があるのだそうです。
 ところで、山椒魚は両生類であり、魚ではありません。それなのに名前は山椒魚。しかも、植物の山椒の名前を流用されているという、少々珍しい名前の持ち主です。


ラベル:香辛料
posted by プッチン at 08:38| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月24日

ニンジンは多種類のカロテン類を豊富に含む

 春も終盤となりました。木々の芽吹きが活発になる晩春、ちょうどいま頃から、新鮮なニンジンが出回ります。ニンジンの旬は、種類や産地、播種時期によっても異なりますが、この時期に出回るのは、主にオランダなどで品種改良された欧州系ニンジンで、肉質が比較的軟らかいのが特徴です。
 一方、秋から冬にかけて旬を迎えるのが、中国で改良された東洋系。肉質がしまり、赤みがかった色が特徴です。代表的なものに、関西地方で改良された金時(きんとき)という品種があります。金時には、赤みの強いリコピンという色素が多く含まれているため、鮮やかな赤い色をしています。それが、金時という名前の由来です。
 東洋系ニンジンが日本に伝わったのは室町時代で、中国からでした。欧州系はそれより遅い江戸時代後期で、長崎に入ってきました。欧州系は全国に普及し、現在では日本産ニンジンの大部分を占めています。ちなみに、東洋系では金時がわずかに栽培されているだけです。
 ニンジンの出荷量は千葉県がもっとも多く、次いで北海道、以下、徳島県、埼玉県と続きます。
 ニンジンに含まれる成分で、ほかの野菜や根菜と比べて特に多いのがカロテン類。カロテンはカロテノイド色素の一種で、健康志向ブームでよく見聞きするようになったベータカロテンや、アルファカロテン、ガンマカロテン、クリプトキサンチン、リコピンなどを総称したものです。
 ベータカロテンをはじめ、摂取されたカロテン類の多くは体内で構造が変化し、ビタミンAの効力を発揮するようになります。これをプロビタミンAと呼びますが、これには、皮膚や粘膜、目などを健やかに保つ効果があるほか、がんの発生を抑制する効果もあると言われています。このカロテンという呼称は、ニンジンの英語名であるキャロットに由来しています。
 ところで、朝鮮ニンジンという植物がありますが、これは、名前はニンジンでも植物学上ではニンジンではありません。ニンジンはセリ科ニンジン属に分類されていますが、朝鮮ニンジンはウコギ科の多年草で、ニンジンとはまったく別物です。


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ラベル:カロテン
posted by プッチン at 09:33| 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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