2013年02月28日

「ビスケットの日」の由来はある手紙から

 2月も終わりとなる今日28日は「ビスケットの日」です。ビスケットの日は、社団法人全国ビスケット協会が昭和55年に定めたものです。
 ビスケットの起源は古代ギリシャですが、もちろん、現代のものとは形も質も異なり、簡単にいえばパンのようなものでした。これがヨーロッパへ伝わり、期間が長い船旅や、軍用のための保存食として活躍します。コロンブスやマゼランも、探検に出るときにはビスケットを船に積んでいったそうです。
 日本にビスケットが伝来したのは1550年代のこと。ポルトガル人によって、ビスカウトという名前の南蛮菓子として長崎へ入ってきました。それからしばらくの間は、外国人向けなどとしてほそぼそと作られていただけしたが、江戸時代末期から明治時代にかけ、軍用食として開発する動きが起こりました。じつは、このことがビスケットの日制定と関係があるのです。
 江戸時代の安政2年、水戸藩は軍用のためのパンの製法を研究させるため、柴田方庵(しばたほうあん)という蘭方医を長崎へ派遣していました。
 オランダ人の職人から製法を学んだ方庵は、ある日、水戸に在郷の荻信之助に製法を書き記した手紙を出します。この日が1855年2月28日のことで、全国ビスケット協会がこれを記念し、ビスケットの日を制定したものです。
 方庵が手紙を出したのは、ビスケットが長崎へ伝来してからおよそ300年後のことでした。ビスケットが一般的な菓子としてデビューするのは、方庵の手紙から20年後の明治8年のことです。
 ところで、ビスケットの語源はビス・コクトゥスというラテン語で、これには「2度焼かれたもの」という意味があります。これが後に、「2度焼かれたパン」を意味するビス・コクトゥス・パニスに変化したりしますが、現在の名称、ビスケットは、ビス・コクトゥスが訛ったもののようです。ちなみに、アメリカではクッキー、フランスではサブレと呼ぶのが一般的だそうです。


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ラベル:クッキー サブレ
posted by プッチン at 08:54| 食品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月27日

イタチと「いたちごっこ」の関係

 イタチは人家の近くの山野などに棲み、普段は野ネズミや蛙、昆虫、魚などを餌にしています。農家にとって、農作物に被害をもたらす野ネズミは敵。その野ネズミを食べるイタチは、農家の側からすると有益な動物ということになります。
 ところがイタチは、餌が不足する冬になると、家畜のニワトリや池のコイなどを狙うようになり、一転して敵となってしまいます。ときには、必要以上に鶏を食い殺すこともあるといいますから、人間にとっては深刻な問題です。
 そんなことから、昔の農家では、毛皮をとる目的も兼ね、「いたち罠」と呼ばれる罠を仕掛けて捕獲しました。竹で作った「箱罠」と呼ばれるものが多く使われていましたが、これは、縦横それぞれ30センチ、長さ60センチほどの大きさで、イタチが箱の中の餌に食いつくと、天秤で吊り下げられている入り口のふたが閉まる、という仕組みになっています。
 まさに、イタチにとっての冬は受難の季節というわけですが、人間の世界では、冬のイタチは季節の風物のような捉え方をされ、俳諧では、イタチもいたち罠も冬の季語となっています。
 現在では見かけることがありませんが、かつては「いたちごっこ」という、子供の遊びがありました。二人、ときには数人で向き合い、「いたちごっこ、ねずみごっこ」と唱えながら、相手の手の甲をつまみ、その手を次々に重ねていくという遊びです。
 昔は、イタチが群れをなすのは災いが起きる前触れだとされていました。いたちごっこは、イタチやネズミの行動から災いを読みとることができるように、という思いがもとになって始まったのではないかと言われています。ただし、定かな説かどうかはわかりません。
 ところで、お互いに同じようなことを繰り返し、物事がなかなか進まないことを形容するときにも、いたちごっこという言葉を使いますが、これは、遊びのいたちごっこが、同じ動作を何度も繰り返し行うところをとらえ、例えに使われるようになったもののようです。


posted by プッチン at 10:32| 動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月26日

栽培品種のウドの先祖は北海道産の野生種

 ウドといえば、「独活の大木」という、ウドにとっては不名誉なことわざがありますが、そうなるのは実が熟す時期のことです。それにしても「独活の大木」とは気の毒なたとえ。もっと具体的な「独活の大木柱にならぬ」というものもありますが、実際、的を射ているだけに、なんとなぐさめたらよいのやら。
 さて、ウドには山野に自生する「山独活」と、栽培される「栽培種」があります。山菜採りでお目にかかるのはもちろん山独活の方で、沖縄県を除く全国の山野に自生します。山独活は栽培種よりも茎が短く、風味が強いのが特徴です。
 もう一方の栽培種は、さらに「寒独活」と「春独活」に分けられます。寒独活は温度が低い環境でも育ちますが、品質の点では春独活に軍配があがるようです。春独活は茎が太くて軟らかいために人気が高く、現在栽培されているのはほとんどが春独活です。ちなみに、日本最大の産地は東京都だそうです。
 栽培の歴史は古く、江戸時代の中頃から、京都地方を中心に行われていました。すでにこの頃から、軟らかな白い茎に育てる「軟白栽培」という栽培方法が開発されていたようです。現在、栽培品種のもとになっているのは北海道産の野生種です。
 ところで、ウドは「独活」と書き、そのまま素直に読めば「どっかつ」となります。「どっかつ」は、人間にたとえれば、「自活能力が強いので独りでも生きられる」というような意味に解釈できるのではないでしょうか。実際、それを裏付けるかのように、ウドは生命力が強く、荒れた土地でもたくましく育ちますし、大きさも、最大で2メートルほどにまで生長します。


ラベル:独活の大木
posted by プッチン at 18:39| 野菜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月25日

リウマチでも絵筆を手に縛りつけて絵を描いたノアール

 1841年の今日、フランスのリモージュで、印象派の画家、ピエール・オーギュスト・ルノアールが誕生しました。日本でも、彼の絵は多くの人に高い人気を博しています。
 彼が4歳のとき、一家はパリに移り住みました。父は洋服の仕立屋でしたが、家は貧しく、彼は13歳頃から、陶器の絵付けの仕事に就いて家計を助けました。その後も、家具や巻き上げ日除けの絵付け、婦人用の扇子の絵を描く仕事などをして働きました。
 幼い頃から苦労をしたわけですが、じつはこうしたことで、繊細な技術や色彩感覚、感性などが養われ、後に画家として大成する下地がつくられていったのです。
 1862年、二十代になって間もなく、画家をめざしてシャルル・グレールの教室に入学します。彼はこの教室でモネやシスレー、バジールなどとめぐりあい、さらに彼らを通じて、ピサロやセザンヌなどとも交流するようになります。こうした環境下でモネやマネの影響を受け、次第に印象主義の技法や表現を形成するようになっていきました。
 その後も印象派の絵画運動への協力や印象派展覧会への出品ほか、研究や見聞も重ね、力をつけながら次々と作品を発表します。
 40歳でアリーヌという女性と結婚し、3人の男子をもうけました。後に、長男ピエールは俳優に、次男のジャンは映画監督になっています。
 1900年には、文化的な功績を認められ、フランスでは最高の勲章とされるレジオン・ドヌール勲章を授与されました。
 その3年後には、持病のリウマチがひどくなったことから、医者の忠告によって、気候が温暖な南フランスのカーニュ地方に移り住みました。コレットと呼ばれる別荘で、女性や子供、花や風景など、大量の絵を描いたほか、彫刻やリトグラフなども制作しました。
 リウマチの悪化で体が不自由になってからは車椅子に乗り、絵筆を手に縛りつけて絵を描いていたそうです。
 1919年12月、その別荘で、78歳の生涯を閉じました。この別荘は、彼が暮らしていたときのようすをほぼとどめた状態で、現在、ルノアール美術館となり、彼の人物像や足跡を伝え続けています。



posted by プッチン at 13:23| アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月24日

ワカサギは将軍に献上されたのが名の由来

 冬のレジャーのひとつにワカサギの穴釣りがあります。穴釣りは、湖などの水面が氷に閉ざされたとき、氷の一部に直径20センチほどの穴を開け、その穴から釣り糸を垂らして行う釣りです。
 釣り竿の長さはおよそ30センチから40センチ。これに、6本から7本の枝鉤が付いた釣り糸が付いています。
 福島県の檜原湖、富士山の山中湖、長野県の諏訪湖や白樺湖、女神湖、群馬県の赤城大沼や榛名湖ほか、氷が張る湖では全国各地で行われています。
 ワカサギは漢字で「公魚」と書きます。これは、霞ヶ浦産のワカサギが、徳川11代将軍家斉に献上されことに由来し、以来、その漢字が当てられるようになったと言われています。
 ワカサギは、もともとは川で生まれ、海や潮入りの湖で育つ北方系の海産魚でした。ところが、明治末期から大正初期のころ、霞ヶ浦などから全国各地の湖に移植されて繁殖し、いつしか淡水魚として扱われるようになりました。ただし、冷たい水を好む冷水魚という身の上から、天然ものでは島根県が南限と言われています。
 ワカサギは1年で成熟し、大きなものでは体長15センチほどになります。産卵は1月から4月ころの時期で、親は湖から川を遡上し、直径1ミリ程度の卵をおよそ2万粒、水草や護岸などに産み付けます。
 商業としての漁法には、引網や投網、刺網、四手網、釣りなどがあり、年間およそ3000トンが水揚げされています。ちなみに、漁獲量が多いのは北海道、青森、秋田、長野、茨城などの各県です。
 ワカサギの肉は低脂肪のあっさり味で、しかも骨までまるごと食べられるため、料理の種類も豊富。フライや唐揚げをはじめ、天ぷら、塩焼き、つけ焼き、南蛮漬け、佃煮などに利用されます。
 ところが、西日本では関東に比べ、食用の魚としてのなじみは薄いのだそうです。関東からみれば、せっかくの良質な食材なのに惜しいような気もしますが、ワカサギにしてみれば幸いというところでしょうか。


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ラベル:穴釣り
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